教えて!乳がんのこと
かづきれいこさんと乳がん
2014/10/31
かづきれいこさん
私は母を乳がんで亡くしています。私が29歳の時、母は56歳という若さでした。
まだ息子が幼いころ、一緒にお風呂に入った時に息子に胸を触られ、「痛い!」と思って改めて自分で触ってみたらしこりがあることに気づき、すぐに検査をして乳がんが見つかったのです。その後、細胞診をして全摘手術を受けたものの、骨転移をしてしまい、発見から3年あまりで亡くなってしまいました。
今から30年も前のことなので、治療法も確立されておらず、今ほど有効なお薬もありませんでした。全摘手術をしてもリンパ節まで取ってしまうから、腕が上がらなくなったりして術後も大変でした。転移後も抗がん剤治療はしませんでした。告知もしませんでした。
グラマーな母にとっては自慢の胸だったので、全摘すると決まった時、物陰で子どものように泣きじゃくっていました。当時はどうしてそんなに泣くのかと疑問で、「胸を取って治るのなら命が優先でいいじゃない」と言ってしまいましたが、今、母と同じ年齢になってみてわかることは、いくつになっても女なのですよね。乳房を失うことは、本人にとってはものすごくショックなことだったろうと思います。
母が病気になって、私もとにかく必死でした。京都じゅうの神社仏閣を訪れ、集めたお守りをベッドにくくりつけたり、転移後は、就園前の息子を連れて、2日に1回は2時間かけて宝塚(兵庫県)から京都の病院に通ったり…。私もまだ心臓の手術前だったので、自分がすぐに調子が悪くなってしまうのにもかかわらず、「できることは何でもしたい」と必死の思いで看病をしました。
母もつらかったと思いますが、明るい人で、常に私たちには心配をかけまいとしてくれていたようです。母が亡くなった時に、看護師さんから、「あなたのお母さんはすごいのよ。あなたがいない時は痛い痛いと言っているのに、あなたが来る日はきちんと化粧をして『どう?』と聞いてくる。元気じゃないと娘が帰らないから」と聞きました。いつもきれいにしてくれていたのは、娘を思う母の気遣いだったと改めて知り、心から化粧に感謝しました。
今は、乳がん治療も日進月歩でどんどん進化しています。元気な患者さんたちを見るにつけ、母をはじめ、過去の多くの患者さんの苦しみも、現代医療に役立っているのかもしれないと思えるようになりました。患者さん自身もですが、残された家族も本当につらいものです。あなたの周りにいる大切な人を悲しませないためにも、ぜひ定期的に乳がん検診を受けていただきたいと思います。
=連載終わり