創業180周年の節目に思う!

ヤマサちくわ社長 佐藤元英

2007/02/19

 文政10(1827)年に初代佐藤善作が三州吉田魚町で竹輪専業の店舗を開いてから、180年という節目の年を迎えることができました。豊橋の皆さま、東三河の皆さまに「豊橋名産ヤマサのちくわ」としてごひいきいただいてきたおかげでございます。4月からの1年間で、感謝の気持ちをさまざまな形で表現させていただきます。

 さて、「ねりもの」は日本の伝統的な食であり、日本独自の世界に誇れる「食品」です。海に囲まれた日本は、各地で特産の「ねりもの」が発達しました。その土地で獲(と)れる魚を使い、その土地の人々の口に合う味を作ってきました。もちろん、豊橋ちくわはヤマサの先祖がこの地に根付かせたものですが、遠州灘や三河湾の豊かな海の恵みが一番の誕生の理由です。そして味は、豊橋の人が好む、少し甘みのある味です。地域の皆さまに愛される味であったから、愛される味を作り続けてきたから180年目があります。まさしく豊橋の人々が作ってきた味でございます。これからも伝統の味を守り、新しい「ねりもの文化」創造に挑戦したいと考えています。

 しかしながら、日本中の「ねりもの屋」は大変厳しい状況です。世界的な魚資源の枯渇の問題は深刻。「狂牛病」が欧米で深刻さを増すに従い、今まで魚をあまり食べなかった諸国で魚食が一般的になってきました。特に「ねりもの」原料の白身魚を盛んに食べるようになりました。そして、中国の近年の目まぐるしい発展は、生活レベルを格段に上げ、今まで食べなかった魚を食べる富裕層を出現させました。高値を付けるため、今まで日本に来ていた魚が中国や欧米に行ってしまうようになりました。そして、地球温暖化の影響もありエルニーニョが頻繁に起こり、漁獲量が落ちています。そこに原油の高騰。漁船の燃料の高騰!魚の供給量は少なくなるは、魚価は高騰するはでは地場産業のねりもの屋の経営は大変深刻です。それでも日本の食卓の一翼を担ってきた産業の一員として、ねりもの文化を絶対に死守したい、新しい「ねりもの文化」を創造したいという思いがますます強くなる180年という節目です。

 ヤマサのお店のラインアップは、旬の食材を使った商品も増え相当バラエティー化しました。ひとえに食卓に乗る機会を高めたいがためです。さらに180年を機に皆さまの食卓に肉迫します。来月、浜松遠鉄百貨店に新業態の店舗がOPENします。永年ねりものを作り続けてきたヤマサでも「目からうろこ」ということがあります。「でんでん」の若手調理人がすり身を天ぷらに揚げたのです。ねりもの職人では絶対に考えない事で。これが旨(うま)い!「魚彩天」という商品となりました。食材をすり身で包みフライにします。まるで串(くし)かつです。これを「ねりかつ」と称します。おっと、これ以上は企業秘密です。180年を機に新しいねりもの文化に挑戦するヤマサちくわにご期待下さい。

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