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真冬から始まった空襲/江島や三谷原で被害・豊橋空襲の余波も
2023/08/06
焼夷弾が降った江島橋の南東部。左後方は本宮山(豊川市江島町で)
機銃や弾薬を生産し、「東洋一の兵器工場」と呼ばれた豊川海軍工廠(こうしょう)。終戦直前の1945年8月7日の大規模爆撃で焦土と化し、2500人以上もの命が奪われたが、米軍は半年以上も前から豊川に牙をむいていた。 豊川近辺が最初に爆撃された...
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現在の交差点「駅前通4」付近は豊橋空襲の日に被害を受けた(豊川市駅前通で)
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