今年もあの日がやってくる。豊川海軍工廠(しょう)が米軍機の大空襲を受け、2500人以上の尊い命が奪われた8月7日だ。被爆から81年を迎える。
午前10時13分から26分間にわたる空襲。かつての取材に、工廠で被爆したある女性は「あまりにも強烈で忘れることはない。今でも夢を見る」と語った。
当時、10代の少女だった彼女は防空壕に避難。「死ぬときは一緒にね」と語り合った隣の女性は、爆撃で落下したコンクリートの下敷きに。必死で救おうとしたが、かなわなかった。自らは何とか防空ごうをはい出し、命からがら逃れた。
1945年8月。6日は広島に、9日には長崎に原爆が投下され、豊川でも多くの人々が犠牲となった。そして数日後の15日、日本は終戦を迎える…。
悲劇の記憶が薄れゆく今、体験者から聞いた声を後世へ語り継いでいかねばならない。それを怠れば、私たちが享受している平和の礎は崩れ落ちてしまうかもしれない。
