風針

 東京都荒川区南千住は、江戸時代、日光街道沿いの宿場町「千住宿(現・北千住)」の南に拓かれた町で、広大な野っ原だった。

 明治時代に入ると南千住付近には隅田川水運と鉄道貨物基地の陸運が交差する物流の要として、大日本紡績(現・ユニチカ)と旧鐘淵紡績(カネボウ)の二大紡績工場が進出、全国から大勢の労働者が流入した。

 一方、隅田川東岸一帯に広がる「山谷」地域は、江戸最大の色町「吉原遊郭」周辺に船頭や車夫、鳶(とび)など関係労働者が居住する長屋が密集していた。

 戦後は焼け出された人々や職を失った労働者が集まるようになり、高度経済成長とともに高まった労働需要を背景に、日本最大の寄せ場となった。南千住の酒場、立ち飲み屋、大衆食堂は、こうした戦後史の中で、ドヤ暮らしの労働者の孤独と食欲を満たす場所となった。

 中原一歩は山谷の鰻(うなぎ)の名店「尾花」の鰻の白焼きと寄せ場飯を紹介している。

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