1944(昭和19)年6月15日、太平洋戦争中のこの日は硫黄島から1000キロ南方のサイパン島の「D1day」(上陸作戦日)だった。
午後1時50分、60機の米艦上機は硫黄島に来襲、爆弾投下や機銃掃射を繰り返して去った。米軍の狙いは千鳥部落近くに広がる飛行場の確保だった。
1891(明治24)年に日本は硫黄島領有を宣言、開拓民が入植したが、米軍の信仰により硫黄島守備隊の栗林忠道中将は村民の本土疎開を通達、島民は16歳以上の男性島民を軍属として残し、家族は三次にわたって本土に帰った。
1968(昭和43)年に小笠原諸島の施政権は日本に返還されたが、島民の帰島は現在まで認められていない。北海道新聞記者の酒井聡平は硫黄島遺骨主集団のボランティアとして参加、「死なないと帰れない島」(講談社)で元島民の悲願と現実を訴えている。
日本固有の領土なのに旧島民が自由に渡航できないのは北方領土だけではない。
