風針

 昭和12年に東京で生まれた笠原正雄さんは父の転勤で2歳の夏に神戸・板宿に転居、昭和18年4月、神戸市須磨区の板宿国民学校に入学した。

 日ごとに激しくなる戦火を避けるため一家は大阪府高槻市の伯父の家に同居、1カ月後の昭和19年9月、母、2歳上の姉と正雄は母の実家の津市一身田町の浄土真宗の寺に縁故疎開した。

 疎開先のお寺の和尚さんは履謙伯父さん、文芸評論家の平野謙の兄で、仏教説話を聞かしてくれた。津市に住んでいた親子3人は参宮線に乗って京都の伯母の家に下宿する父を訪ねた。

 戦争末期、一家は京都市左京区下鴨で暮らすようになったが、戦後の国民は飢餓生活に困窮した。戦後、打ちひしがれた国民は湯川秀樹博士のノーベル賞受賞、水泳の古橋廣之進、橋爪四郎の活躍に驚喜した。

 京都工芸繊維大学、大阪学院名誉教授となった正雄さんは、情報通信技術は人類がコントロールできない怪物になる―と警告している。

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