拙宅の庭にて現在、時季を過ぎたアジサイに寄りかかるように朝顔が花の盛りを迎えている。昨年までは数輪咲く程度だったので今年の〝隆盛〟ぶりには驚く。
元々は姪が小学校で夏休みに育てる朝顔の種の余りを、拙宅でも咲かせようとプランターに蒔き、開花を待つ―そんな〝ひと夏の思い出〟だったのだが…。
アジサイのためにも〝交通整理〟が必要だが、踏ん切りがつかない。茶室に飾る一輪以外すべて切り落とし、豊臣秀吉をもてなした千利休の境地に遙か遠く及ばぬ身の悲しさである。
真夏の印象が強い朝顔。実は初秋の季語だ。先人は、朝露とともに咲くはかなげな姿に秋の気配を感じたのかも。万葉集にも「朝顔は朝露負ひて咲くといへど夕影にこそ咲きまさりけり」の一首あり。
色により花言葉が異なる。拙宅の青い朝顔の花言葉は「儚い恋」「短い愛」…。自身の幸薄さに納得しながら、進む季節の歩調に合わせ、老いゆく身に優しき秋の深まりを待つ。
