1975(昭和50)年、蒲郡市で生まれた平野啓一郎は1歳の時、父が突然、心臓が止まって死亡、母の郷里、北九州の祖父母の家で育った
京都大学法学部在学中に投稿した「日蝕」によって芥川賞を受賞した平野は、以後、犯罪や死刑などをテーマにした「決壊」や「ある男」を発表、「死刑制度の存廃」をめぐって激しく議論を闘わせた
二十代後半までは、どちらかというと、死刑制度を必要と考える「存置派」に近い考えを持っていた平野は現在、死刑制度は廃止すべきだとする「廃止派」に至った
平野は死というものについて、一つは「自分の死」=一人称の死、二つ目は「近親者の死」=二人称の死、三つめは「赤の他人の死」=三人称の死―と分けて考える
「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに向き合ってきた平野は「死刑について」(岩波書店)で「憎しみ」の共同体から「優しさ」の共同体へ―死刑の廃止に向けて―の死刑をめぐる議論を展開している。
