風針

 天正3(1575)年5月、長篠合戦の折、戦況を見守っていた、城内にある鎮守稲荷の末社にすむ狐は鉄砲の流れ玉に当たって左目を失明、それ以前に左足を傷めていたため片目、片足の異形の狐となった。

 戦のあと、城主奥平貞昌は新城城に移転したが、長篠城内にあった稲荷の末社は打ち捨てられ、この仕打ちに怒った狐は、分限者万兵衛の娘おとらをはじめ次々と近所のものにとり憑き「おとら狐」と呼ばれた。

 災厄を招くおとら狐を落とすには山住神社の「山住さま」が霊験あらたかで、早川要作の長女におとら狐が憑いた時も、これを落とすために山住さまを迎えた。

 狐は落ちたが、肺病だった長女は死んだ。これを見ていた弟の孝太郎は大正9(1920)年、柳田國男との共著「おとら狐の話」を発表、日本民俗学の記念碑的著作となった。

 上島敬昭著「魔界と妖怪の日本史」(現代書館)は悪霊をなだめる庶民の信仰を描いている。

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