日本民俗学の創始者、柳田國男の初期の論文の一つに、『イタカ』及び『サンカ』がある。「東北地方にても磐城相馬郡の石神村などに毎年来往する数家族あり…」の一文がある。
石神村の外山の山腹には十数の土窟があり、村民此穴より煙の出づるを見て、今年も来て居ることを発見す、此地方にては之をテンバと云う…とある。
…主としては農家の箕(み)を直すを以て活計とす。…テンバの女房は家々を廻り注文をきき箕を持ちて其土窟へ帰り行く由なり…」と記す。
正史に登場しない非定住民の生態や民俗の調査・取材を続ける民俗研究者の筒井功は「日本の『アジール』を訪ねて―漂泊民の場所」(河出書房新社)で細工系と川漁系の漂流民に分かれる山窩(さんか)など非定住民の歴史を検証している。
柳田は大正9(1920)年の秋、愛知県新城市作手を旅行した際の見聞をまとめた「ポンの行方」で川漁の目撃者を取材した。
