神野信郎氏が死去

88歳/中部ガス元社長 豊橋商工会議所会頭など歴任

2018/11/14

神野信郎氏

 中部ガス元社長で、豊橋商工会議所会頭や中部経済連合会副会長などを歴任した神野信郎(かみの・のぶお)氏=写真=が12日に死去していたことが分かった。88歳だった。同日夕、自宅で倒れ、豊橋市内の病院に搬送されたが午後5時53分、死亡が確認された。

 豊橋市出身。旧制豊橋中学(現時習館高校)、慶応大経済学部を卒業後、1953年、三井信託銀行(現三井住友信託銀行)に入行。59年に中部ガスに入社し、75年に社長、94年に会長に就任。2010年に相談役に退き、18年に名誉顧問に就いた。

 名誉顧問を務めるサーラグループを、東三河地域を代表する企業集団に育て上げたほか、中部財界でも存在感を発揮した。

 16年には豊橋市から名誉市民の称号を贈られた。佐原光一市長は「市民の誇りである偉大な方を失い、深い悲しみにたえません」とコメントを発表した。

 サーラグループは12月14日に「お別れの会」を開く。場所と時間は未定。

豊橋技術科学大学の名誉博士号を授与された神野氏(2011年)

事業多角化推進し地域発展貢献/文化教育・国際交流活動にも尽力

 12日に急死した神野信郎氏は35年にわたり、中部ガスの社長、会長を務めた。ガス事業の安定的成長基盤を築くともに、事業の多角化を積極的に推進した。財界トップとして、地域経済の発展に貢献するとともに、文化教育活動や国際交流にも精力的に取り組んだ。

 中部ガスでは、取締役時代に中部液化ガス(現ガステックサービス)と中部設備工業(現中部)を設立。その後も「エネルギーを中心とする総合生活産業」をコンセプトに打ち出し、中部ガス不動産、中部住宅販売(現サーラ住宅)、新協産業(現サーラカーズジャパン)などを立ち上げ、東三河から静岡県西部を地盤にしたサーラグループを育て上げた。

 社業以外では、1964年に豊橋青年会議所(JC)の理事長を務めた後、日本青年会議所の会頭にも就任。豊橋JC理事長時代に行った市民アンケートから「豊橋には技術系大学が必要」と大学誘致が始動。行政と一体となった活動が実を結び、76年に豊橋技術科学大学が開校した。その後も大学の理事、特別顧問を歴任して産学官の連携に貢献、2011年に大学から名誉博士号を授与された。

 82年から08年まで、豊橋商工会議所の会頭を務めた。三河港の整備要望の陣頭に立ち、「輸入車陸揚げ日本一」となる国際的自動車貿易港に成長させることに尽力。三河港に進出したドイツ自動車メーカーとも交流し、豊橋日独協会の会長にも就任。豊橋とドイツの友好の橋渡し役として国際交流にも力を尽くした。

 中部経済連合会副会長、愛知大学理事・評議員、慶應義塾評議員、神野教育財団理事長、東三河地域研究センター理事長、日本アマチュアオーケストラ連盟会長、東三河懇話会会長等を歴任。紺綬褒章、藍綬褒章、大蔵大臣表彰、勲三等旭日中綬章、ドイツ連邦共和国功労勲章功労十字小綬章、豊橋名誉市民などを受けた。

市民の誇り偉大な方失った/豊橋市長 佐原光一

 突然の訃報に接し、たいへん驚くとともに非常に残念でなりません。

 神野信郎氏は、中部ガスの最高責任者として同社および関連会社を成長させる傍ら、豊橋商工会議所副会頭、会頭、相談役を歴任され、長きにわたり地域経済界をリードされました。

 また、教育、福祉、文化、国際交流など幅広い分野において豊かな知識と経験、卓越した指導力を発揮され、地域の発展と本市市勢の振興に大きな功績を残され、素晴らしいご活躍をいただきました。市制施行110周年記念式典の中で名誉市民に推戴させていただいた時の晴れやかなお姿が昨日のことのように思い出されます。市民の誇りである偉大な方を失い、深い悲しみにたえません。

 今はただただ心より、安らかなご冥福をお祈り申し上げます。

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豊橋技術科学大学の名誉博士号を授与された神野氏(2011年)

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