「隠された地震」知っていますか?

戦時中2度の大震災経験/田原市の“語り部”高橋邦子さん

2026/03/10

地震の怖さについて語る高橋さん(衣笠小学校で)

 太平洋戦争末期に二度の「大地震」を経験した田原市の高橋邦子さん(88)は、4年前から「震災の語り部」として地元の小学校などへの出前授業で地震の怖さを通じ、命の大切さを訴えている。自宅の一部が壊れる様子や避難の際に見た生々しい出来事が話の中心だ。出前授業を開いた市民グループ「前日の会」(彦坂久伸代表)は南海トラフ地震に備え、「貴重な体験を伝え続けてほしい」と期待を寄せる。11日は東日本大震災から節目の15年―。

高橋さんが一時避難所に向かう沿線。今は当時の面影が見られない(田原市内で)

生々しい被災の記憶や教訓 命の大切さも訴え

 ■兵士の救出劇
 1月21日の市内の衣笠小の出前授業で、高橋さんは1944年12月に起きた東南海地震について語り始めた。当時、住んでいた旧田原町萱町の自宅は揺れがひどく、外に出られなかった。同居する兄嫁は2階で寝ていた赤ちゃんが心配になり上がろうとした時、階段が崩れ落ちた。軒も崩れた。

 しばらくして揺れは収まり、赤ちゃんを乳母車に乗せて兄嫁と外に出た時、近くの民家の瓦も滑り落ちていた。火災の恐れがあるため約700㍍離れた一時避難所に向かう途中、民家が何軒も壊れていた。その中で兵士が家の下敷きになった子どもを助けたのを見た。

 この「救出劇」の近くで崩壊した民家のタンスの下敷きで母と赤ちゃんが亡くなり、神社の灯ろうが倒れ、電車が止まったなど聞いた話を紹介した。死への恐怖から「体が震え本当に怖かった」

 45年1月には三河地震が発生した。父に抱かれて近くの空き地に逃げ、わらと竹で作ってもらった「地震小屋」で約20日間、生活した。余震に悩まされた。

 「地震で電気や水道が止まったらどうするか」。備えの必要性ととともに「自らの命を守るため安全なところに避難を」と締めくくった。

 『極秘 昭和十九十二月七日 東南海大地震調査概報』(作成者・中央気象台)によると、旧田原町の被害は死者が2人、負傷者が1人。住宅の全半壊が259戸に上った。このうち萱町はそれぞれ2人、1人、126戸と最も多かった。

 ■数少ない一人
 前日の会は、終戦前日に米軍機が旧田原町を走る電車を銃撃し、乗客ら31人が死傷した「渥美線電車機銃掃射」の記録を語り継ぐグループ。語り継ぎらが前身の団体を含め2015年から出前授業を開いている。

 高橋さんは、この銃撃での負傷者を病院に運んだ場面を目撃した一人でもある。会から機銃掃射に加え震災体験を伝えてほしいと「ダブル語り部」を勧められ、22年1月から出前授業に加わっている。

 市内は地盤の弱い場所もあり、県内で南海トラフ地震の影響を受けると予想される一つ。彦坂代表は「(高橋さんは)地震を知る数少ない一人。今後も当時の模様を伝えてほしい」と話した。高橋さんは「健康の限り、見たこと聞きたことを具体的に届けていきたい」と語った。



 東南海地震と三河地震 東南海は1944年12月7日、和歌山県新宮市付近を震源とするマグニチュード(M)7・9の地震。愛知県を中心に7府県で1200人以上が死亡した。三河は37日後の45年1月13日に起きた。内陸直下型のM6・8。蒲郡や西尾、安城の3市などで死者が2306人に及んだ。戦時下で起こり軍需工場などに打撃を与え、報道管制下の「隠された地震」とも言われる(『災害教訓の継承に関する専門調査会報告書』から)。

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