豊橋の遺族宅で校長の弔辞

「渥美線電車機銃掃射」で死亡中学生/愛知県知事の弔意 死亡診断書写しも/教育機関の対応知る貴重な資料

2026/04/21

野末校長が彦坂定さんに宛てた弔辞の一部 (前日の会提供)

 太平洋戦争終戦の前日、米軍機の銃撃で31人が死傷した「渥美線電車機銃掃射」の惨事で、死亡した中学生への校長の弔辞など3点が、豊橋市の遺族の自宅で見つかった。軍国主義の色彩の強い内容で終戦前後に書かれたとみられ、当時の教育機関の対応などが読み取れる貴重な資料の一つとされる。機銃掃射の記録を語り継ぐ田原市の「前日の会」は、「二度と戦争を繰り返さないためにも、遺族から託された文書を活動に役立てたい」としている。

彦坂定さんへの福本知事の弔意 (同)

彦坂定さんの死亡診断書の写し(同)

終戦前後 軍国主義の色彩濃く―学ぶべき戦争の教訓

 ■「国家の損失」
 死亡した中学生は、旧老津村(現豊橋市老津町)の県立成章中学校(現成章高校)1年の彦坂定さん。市内老津町の定さんの遺族が仏壇を整理中、成章中の野末茂校長が定さんに宛てた弔辞のほか、愛知県の福本柳一県知事の弔意、定さんの死亡診断者の写しを見つけた。

 前日の会によると、定さんは、終戦前日の1945年8月14日朝から旧田原町の蔵王山の麓で開墾していた。空襲警報が出たことで下校となった。乗った電車が米軍機の銃撃を受けて命を落とした。

 3点を総合すると、定さんは渥美病院に運ばれたが午後2時頃、「貫通銃操(創)」で死亡。死亡診断書は終戦の15日に出された。

 校長の弔辞には「優秀な成績で成章に入り、誠実さと愛国心から学友に慕われた」とたたえ、「国家の損失でもあるが、志を継ぐため敵を撃滅して皇国の安泰を誓う」と決意が述べられている。

 同年の11月9日付で、知事は「学徒勤労動員として食糧増産に励んだ功績として金一封を贈る」と弔意を表し、たたえている。銃撃は「十三時」と記述があり、死亡診断書の裏には46年5月11日、「戦災給付金」500円を支給済と記されている。

 しかし、これらの内容から葬儀が不明で、校長が弔辞を読んだか定かでない。平和教育に取り組む愛知大学の渡邉正名誉教授は「校長の弔辞内容は軍国主義の典型」ととらえ、「敗戦色濃い終戦間際の中でも、知事を含め浸透していた軍国主義から脱却できない実情が読み取れ、戦争の歴史の教訓を学ぶ資料と言える」と話した。

 また、会はその前身がまとめた証言集に「手術台で『天皇陛下、万歳』と叫んだ」と記されていた少年について定さんと確認したという。

 ■ 重要な贈り物
 会は2015年から市内の小学校を中心に出前授業を開き、戦争の悲惨さと平和の尊さを訴えている。彦坂久伸代表は「戦後80年を経て届いた重要な『贈り物』。出前授業で有効に活用していきたい」と語った。

 遺族は「弔辞は勇ましい戦前の内容。今では考えられないが、そういう時代だったのだろう」と話した。先日、知り合いの山田政俊前代表に3点を手渡した。

   ◇

 渥美線電車機銃掃射 終戦前日、三河田原駅を出発した名古屋鉄道(現豊橋鉄道)渥美線の電車が、現在の田原市の神戸駅付近で米軍機の機銃掃射を受け、乗客約40人のうち乗員らを含め31人が死傷した。死亡した15人のうち6人が成章中学校の生徒。近くの踏切の前に「大東亜戦争動員学徒殉職之碑」が建立されている。

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