北大名誉教授が解説/柳生川、朝倉川は一つだった時も/南稜生涯学習センターが11日から―定員超過の人気ぶり
2024/05/07
11日から始まる講座を前に内容を語る平川名誉教授
豊橋市の柳生川と朝倉川はかつて一つの時があり、岩屋観音像が立つ岩屋山(標高78メートル)も島や岬だった?北海道大学の平川一臣名誉教授は、東日新聞に連載していた「渥美半島の成り立ち」からピックアップし、11日から6回にわたり市内の大清水まなび交流館で講座「渥美半島のひみつ〝センス・オブ・ワンダー〟」を講義する。申し込みはすでに締め切られたが、定員を超す人気ぶり。主催する南稜生涯学習センターは「郷土を知るために学んでほしい」と受講者に呼びかける。
■番外の見聞録も
初回の11日のテーマは「豊川霞堤(とよがわかすみてい)、朝倉川、柳生川のひみつ」。豊川とその沖積平野の特性に立ち、堤防・治水システムと言われる霞堤を考えるほか、豊橋市内を流れる柳生川と朝倉川は10万年前ごろまで、一つの扇状地をつくっていたと説明する。
なぜ環境省の絶滅危惧種に指定されているシデコブシは市内の1カ所、田原市の4カ所に隔離されたように自生しているのか。2回目の25日の「葦毛(いもう)湿原、天伯湿地、シデコブシのひみつ」の中で明かす。
岩屋観音像が立つ岩屋山は二十数万~三十数万年前、太平洋から波が打ち寄せ、〝岩屋観音島〟とか〝岩屋観音岬〟という感じで呼ばれ、現在の豊橋・二川から静岡県湖西市の新所原の間は海だった。3回目の6月8日の「岩屋観音〝島〟、二川・新所原〝海峡〟?」で解説する。
4回目の22日の「東田坂、(三河湾に突き出していた)〝牟呂半島〟のひみつ」で牟呂半島の成り立ちを語り、縄文時代晩期に干潟が広がり貝塚が形成されたと話す。5回目の7月6日の「伊能忠敬が観(み)た田原湾〝ベネチア〟幻影」では、水上都市のベネチアと平安時代の歌人・紫式部らが歌で詠んだ田原湾の情景をだぶらせ、「田原湾もベネチアと同じようになり得た」と投げかける。
昨年6~7月にパキスタンとインド、中国の国境に位置するカラコルム、10月にエベレストを訪れており、最終回の6回目の20日は番外編として「平川一臣のカラコルム・エベレスト見聞録」について話を進める。
■地元探訪へ
平川名誉教授は現在、市内老津町に住む。2012年3月までの約20年間、北大教授を務めた。東日新聞で21年9月から渥美半島の成り立ちをスタートさせ、先月末まで自然災害、防災、自然環境の観点から61回にわたり連載した。この連載から興味のあるような項目を選んだ。「講座を通し受講者の地元探訪のきっかけにつながればうれしい」と語る。
定員30人に50人の申し込みがあった。南稜生涯学習センターの加藤喜康センター長は「受講者の郷土に対する関心が高まり、少しでも役に立てばありがたい」と話す。