栄光の背番号3 記憶永遠に

長嶋茂雄さん死去/豊川出身元横浜大洋ホエールズ・市川和正さん/ミスターとの思い出語る/大きな体 助言や気配り「オーラのある方でした」

2025/06/04

巨人監督だった2000年、背番号3のユニホームでノックする長嶋さん(豊川市の浦野さん提供)

 栄光の背番号3は永遠に―。「ミスタープロ野球」と呼ばれ、巨人で選手や監督として活躍した長嶋茂雄さんが3日、肺炎で死去した。享年89。豊川市出身で、横浜大洋ホエールズ(現DeNA)で活躍した市川和正さん(66)が幻の〝ドラ1指名〟を受けるなどのミスターとの思い出を語った。

 1975年夏の甲子園に出場した国府高校の正捕手で、後にプロで活躍した市川さん。「小学生のころは(アニメ)『巨人の星』が大好きで、愛知の少年なのに中日ではなく巨人の帽子をかぶっていた。王さんと並び、長嶋さんは憧れの存在だった」という。「我が巨人軍は永久に不滅です!」の引退試合は、テレビの前で涙した。

 高校卒業後、東海大学でプレーした市川さんは大洋からドラフト4位で指名されたが、直前にうれしいことがあった。当時、巨人監督に就任したばかりの長嶋さんが新聞取材に「東海大の市川選手をドラフト1位指名したい」と話したのだ。「社交辞令というか、リップサービスだと思うけど、名前を挙げてくれただけでも、うれしかった。忘れられません」。

 大洋入団後、与えられた背番号33には「長嶋選手2人分だ」と喜んだ。沖縄春季キャンプでは、当時評論家として視察に来た長嶋さんと初対面。「これがバッティングだ!」と独特なティー打撃の練習法を助言され、汗で濡れたシャツの背中に手を添えられ「市川君、着替えてきなさい」と優しく声をかけられた。

 「背も高く体も大きくて、オーラのある方でした。野球ファンだけでなく、すべての日本国民に親しまれた方だったと思います」

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