豊橋ユネスコ協会「戦争しない 認めない 求めない」/10回を数えた老津小平和学習 ①
2026/07/21

出前授業で話を進める豊橋ユネスコ協会の渡邉正会長(老津小学校で)
「平和のバトンを未来へつなごう」―。豊橋市の老津小学校は、今年で節目の10回を数えた平和学習に力を入れている。6年生は外部講師の出前授業で「軍都・豊橋」や母校の先輩が亡くなった「渥美線電車機銃掃射」、「戦争の話」を中心に学んだ。これをまとめ、平和の尊さと戦争の悲惨さを発信する考えだ。戦後81年の8月15日に向け、学習の様子など5回にわたり紹介する。連載の初回は「豊橋ユネスコ協会」の「戦争遺跡と戦争体験を学ぶ」を取り上げる。
■三つのポイント
「豊橋や老津の戦争の歴史と平和を考える時、三つのポイントが大切」。6月5日の出前授業で、豊橋ユネスコ協会会長の渡邉正愛知大学名誉教授はこう切り出し、説明を始めた。
一つは「軍都・豊橋って何?」。太平洋戦争終戦までの約60年間に陸軍の第18連隊と15師団が豊橋にあり、訓練を受けた兵士約12万人が海外へ出兵した。高師原と天伯原には演習場、軍用機を訓練する陸軍飛行場が大清水、海軍飛行場が大崎に設置され、「豊橋は軍都として発展した」と語った。
二つ目は「戦争遺跡って何?」。軍都・豊橋を裏付ける戦争遺跡は第18連隊が存在した豊橋公園内に9カ所、15師団があった愛大豊橋校舎と周辺にその足跡が残っている。「それを手掛かりに全体像を理解してほしい」と呼びかけた。
三つ目は「戦争末期の豊橋はどのようだったか?」。アメリカ軍の本土上陸作戦に備え、その前触れとして戦争末期に日本が被害を受けた。東三河ではその一つが豊橋空襲。さらに豊川海軍工廠(こうしょう)の空襲、渥美線電車機銃掃射と惨事は続いた。
老津小は、ユネスコから持続可能な開発のための教育(ESD)の拠点となる「ユネスコスクール」に認定されている。市内で認定を受けている小中高校など10校のうちの一つ。その精神である「心の中に平和の砦(とりで)を築かなければならない」を取り上げ、その意味を「戦争をしない。戦争を認めない。戦争を求めない。この気持を持って行動してほしい」と解説し、子どもたちに願いを託した。
会員の内藤赳夫さんは戦地で衛生兵を務めた義父から「重傷者を置き去りにしてきた」と苦しい胸の内を聞いたエピソードを明かし、同じ会員の大羽節子さんは小学生のころの戦争体験を話した。
■考えるヒントに
協会の出前授業は昨年度に続き2回目。6年生約30人が学んだ。話を聞いた後、子どもたちは「何で戦争が始まったか」「学校ではどんな軍事教育を受けていたか」「どこからが第二次世界大戦か」などを質問していた。
渡邉会長は「世界の動きの中で、平和を続けるためにはどうしたら良いか。なぜ、戦争は起きるか。お父さん、お母さんと話して下さい」と投げかけた。