ようこそゲストさん
ホームへ戻る
豊川海軍工廠空襲の記憶/豊橋・南旭町の朝倉松枝さん(88)が語る「あの日」
2020/08/07
当時のことを話す朝倉さん(豊橋市前畑町で)
太平洋戦争終戦のわずか8日前、1945年のきょう8月7日、「東洋一の兵器工場」と呼ばれた豊川海軍工廠はアメリカ軍のB―29爆撃機などによる空爆を受け、10代の少年少女を含む2500人以上の命が奪われた。当時13歳で被爆した豊橋市南旭町の朝...
この記事は有料会員限定です。会員登録すると続きをお読みいただけます。
千両か赤塚の山まで逃げた学徒が見た、燃え上がる工廠を描いた絵(竹生節男作)=桜ケ丘ミュージアム・豊川海軍工廠展で
PDF紙面へ
ピックアップ
PAGE TOP