設楽ダム建設で湖底へ

開設100年 奥三河の産業遺産 大名倉発電所/残り9年―地域から消えゆく記憶

2017/07/16

 奥三河を代表する産業遺産がまもなく姿を消す―。6月初旬にダム本体の前段となる転流工の工事が始まった設楽ダム建設は、2026年度内の完成を目標に着々と事業が進められている。今年3月に開設から100年を迎えた旧大名倉発電所の遺構も水没地域にあり、終戦直後まで地元民の生活を支え続けた貴重な遺産は、9年後にはダム湖の底に沈む予定だ。

奥三河郷土館学芸員 石井峻人さん「足元に目を向けて」

 寒狭川(豊川)の水力で発電する大名倉発電所は、ロシア革命が勃発した1917(大正6)に北設楽郡最大の発電所として送電を開始した。地元の田口電灯合資会社が建設し、さまざまな変遷を経て中部配電(現・中部電力)に統合。最大給電域は、設楽町と新城市の北部まで広がったが、1948年に誤伐採で切断された配電線と電話線が混触し、本館を全焼する大事故が発生。その後、発電所は復旧できずに放置され、その7年後には業務廃止の手続きが取られた。

 大名倉発電所の建設前、奥三河の各家庭では灯明や囲炉裏、カンテラ(石油ランプ)などが用いられ、当初は安価なガス灯を利用する家も少なくなかった。しかし、送電地域の拡大とともに奥三河の生活は徐々に豊かとなり、時代の流れの中で電気は生活に欠かせないものへと変化していった。

 設楽ダムの建設に伴い、水没地域となる大名倉地区では2015年に全戸が移住。現在は、民家の解体が進む荒涼地となり、他地区の住民も高齢化が進み、当時の詳細を知る人はほとんどいない。

 奥三河郷土館で学芸員を務める石井峻人さんは、地元の貴重な産業遺産を記録に残そうと、業務の合間に現地を訪れ遺構の調査を行っている。「ダム工事の本格化で現地入りできなくなる前に、さまざまな資料や伝聞を記したい」と何度も足を運び、これまでに導水路や建屋跡、発電機の台座、取水堰堤(えんてい)を確認した。

 5月には、豊鉄ツアーを企画して大名倉発電所跡地を巡るなど、さまざまな手法で奥三河の歴史を現代に伝えている。

 石井さんは「郷土史を知ることで、奥三河の魅力が深まり観光力も高まる。ダム建設を良いきっかけにし、地元の人々が足元に目を向けてほしい」と話した。

2017/07/16 のニュース

大名倉発電所の遺構

業務の合間に現地調査を続けている石井峻人さん

人影のない東大名倉バス停

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