「渥美線電車機銃掃射」現場に案内板設置
2026/05/05

踏切脇に建てられている慰霊碑。案内板では安全面に注意と呼び掛けられているという(田原市内で、2025年3月撮影)
太平洋戦争終戦前日、現在の田原市を走る電車が米軍機の銃撃を受け、乗客ら31人が死傷した「渥美線電車機銃掃射」の惨事を伝える案内板が、現場の豊橋鉄道神戸駅前付近に建つ。昨年3月の定例議会で機銃掃射の問題が取り上げられ、市が設置の意向を示していた。この記録を語り継ぐ活動を続けている市内の「前日の会」(彦坂久伸代表)は、願いが実り喜んでいる。
■絵を添え
案内板には「渥美線電車機銃掃射跡地」と記載されている。「1945(昭和20)年8月14日昼頃、空襲警報の解除を受けて三河田原駅を発車した名古屋鉄道(現・豊橋鉄道)渥美線の電車は、神戸駅を過ぎ八丁畷(なわて)を走行中、とつじょアメリカ軍P51戦闘機の機銃掃射を受けました」で始まり、『昭和20年度 神戸村日誌』を引用し、この攻撃で「『十五人即死、十六人重軽傷者ヲ出』す大惨事となりました」と続けている。
乗客、乗員について「食料の買い出しに来ていた人々、下校途中の成章中学(現・成章高校)の生徒、赤ん坊を背負った母親、国民学校を卒業したばかりの車掌見習いの少年など」と示し、「被災者は現場近くの住民らにより戸板やリヤカーに乗せられ、渥美病院へ運ばれました」と記している。
この説明文には、戦闘機の電車への攻撃や被災者の搬送、運搬の様子が描かれた絵が添えられている。「現場の一角には『大東亜戦争動員学徒殉職之碑』と自然石の慰霊碑が建てられ、犠牲者の冥福が祈られています」と紹介する。碑は「線路に沿って(豊橋方面に)260メートル先(の踏切脇)」と説明し、市は安全面に注意するよう呼び掛けているという。
前日の会は、機銃掃射の体験者らから聞き取った内容を基に作った紙芝居『前日物語』をメインに、2015年から市内の小学校を中心に「出前授業」を開いている。絵は紙芝居の作者で4年ほど前に91歳で死亡した市内の彦坂昭市さんによって描かれた。
■活動に励み
案内板を巡っては市議が昨年の3月定例議会の一般質問で取り上げ、「慰霊碑はあるが、説明したものがない。悲惨な戦争を次世代に伝えるため、適地を探し進めてほしい」と設置を求めた。
市は「関係機関と設置に向け話し合う機会を設けたい」と答弁。その後、豊鉄と交渉して安全面を考え、神戸駅近くの市有地に建てることで決着した。地域福祉課の担当者は「市内で起きた悲惨な出来事を後世に伝え、平和の意識を持ち続けるようなきっかけになれば」と語った。
彦坂代表は「機銃掃射の惨事を広く知ってもらうことにつながり、ありがたい。会としても活動の励みになる」と話した。