比島慰霊巡拝や戦没者まつる「聖地」供養の教訓
2026/03/31

供養祭に向け掃除をした後、「比島観音」像前に立つ奥さん(西尾市の三ヶ根山で)
「戦争はいかん」―。太平洋戦争中にフィリピンで戦死した父を持つ田原市の奥隆さん(82)は、15年以上に及ぶ現地の慰霊巡拝と戦没者をまつる西尾市の「聖地」での供養の教訓を生かし、若い世代に伝える活動に取り組む。軍事介入や武力紛争が多発する世界状況に触れ、「勝っても負けても得るものはない」と警告している。
■父は「捨て石」
奥さんによると、父の文夫さんは召集されて1年後の1945年6月、フィリピンタルラック州のパンガシナンで戦死した。当時35歳だった。
奥さんは、父の供養のため日本遺族会の友好親善訪問団に加わり、2007年にフィリピンを初めて訪れた。現地のガイドから、「皆さんのお父さんは本土防衛のため『捨て石』になった」と聞き、フィリピン人も100万人以上死んだと知り、「ともに大戦の犠牲者だった」と衝撃を受けた。
これまでに遺族会の訪問団を含め8回、フィリピンで慰霊巡拝を続けた。戦死場所がわからずパンガシナンの各地で祭壇をつくり、米や酒などを供え、父の冥福を祈った。戦争を「償う」意味も込めて訪れた小学校で、子どもたちに衣類や鉛筆、ボールなどを届け、交流も深めた。
一方、西尾市の三ヶ根山に建立された「比島観音」像にはフィリピンで戦没した日本人約50万8000人がまつられていることを知った。戦友や遺族でつくる「比島観音奉賛会」の世話人の一人として11年から供養祭(例大祭の時も)の運営にあたり、祭りに参列し「父の無念の死」を悼み、恒久平和を願った。周辺の掃除にも足を運んでいる。
供養祭は、1972年から毎年4月の第1日曜日に開かれている。当初、約6000人いた会員が今では約120人に減り、戦友は亡くなって役員も一人を除き80歳以上という。奉賛会は運営が難しいと判断して4月5日の55回目の供養祭を最後と決めた。会もその後解散する。
■絶好の「教材」
奥さんは、終戦前日に米軍機の銃撃を受けて31人が死傷した「渥美線電車機銃掃射」の記録を語り継ぐ市民グループ「前日の会」(彦坂久伸代表)の会員でもある。会が2015年から地元の小学校を中心に開いている出前授業で、「子どもたちにフィリピンの出来事や供養祭などの話を伝えていきたい」と意欲を燃やす。
世界に目を向けるとロシアのウクライナへの軍事侵攻、アメリカ・イスラエルのイラン攻撃など緊迫した状態が続いている。元教員でもある彦坂代表は「戦争と平和を考える生きた『教材』であり、ぜひ話をしてもらいたい」と期待を寄せる。
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供養祭を控え、奥さんは「この祭りでは不戦と平和の尊さを仲間と確認する場であった。終わりとなると寂しくなるだけに最後は多くの人たちに参拝を」と呼びかけている。問い合わせは=電話090(5879)9790=へ。