東三河データファイル
【トップインタビュー】 ソフトとハード 両方手がける強み/100年企業をめざして
2021/04/19
宮川嘉隆社長
東海日日新聞社運営の「東三河データファイル」に参画する宮川工機(本社=豊橋市花田町)。1976(昭和51)年、木造住宅建築におけるプレカット(※注1)加工の機械化に国内で初めて成功。プレカットの名付け親であり生みの親である。そんな日本の木造住宅建築に革新を起こした同社の宮川嘉隆社長に今後の展望などを聞いた。
―現在の業界の流れについて
業界全体では平成22年度に政府が木材利用推進を打ち出して以降、国立競技場をはじめ教育関連施設など、いわゆる非住宅での木材利用が進んでいる。コロナ禍でテレワークが進み、郊外の一軒家が注目されているという流れもある。
―人口縮小で住宅需要も減っていく中、どんな取り組みをしているのか
従来はプレカットと言えば柱や梁などの構造材であったが、新たなプレカット需要も増えており、木材プレカットで培った技術を生かし、合板やパネル、断熱材といった木材以外の異素材を加工する機械の開発なども進めている。
木造住宅業界は一種独特で自動車部品の工作機械のように大量生産ではなく、少しずつ微妙に違う仕様、多品種少量生産の繰り返し。当社はニッチな市場で高シェアを得ており、顧客の声がよく聞こえる環境にあるので、顧客の声に真摯(し)に耳を傾け、必要とされるものをきちんと作り続ければ需要はあるしマーケットもある。そうやって守備範囲を少しずつ広げていけば長く生きていけると考えている。
―大手参入は非採算、低資本では無理。ちょうどいいポジションなのか
もともとプレカットという市場は当社がつくり出したので、開発当初は唯一のメーカーだったが、そのうち競合他社が現れ、一時はシェア45%にまで落ちたことも。その後競合が減り現在機械メーカーは当社含め2社、シェア65%なのでいい位置に落ち着いていると思う。
機械を動かすデータ作成用のCADソフトウェアが必要不可欠だが、ハードとソフトの両方を手がけているのは当社だけ。ソフト開発企業は現在3社で当社はシェア40%程度。開発当初は自前で作るしか選択肢が無かったが、両方手がけていることは今となっては当社の強みと言える。
―外注化できる部分を出す企業が多い中で機械もソフト開発も両方やるのは、当初から何か信念があったのか
一時期ソフトが弱い時代もあったが、私自身が情報工学系大学の出身だったこともあり、ソフトの重要性を認識していたので私が入社してからもずっとやり続けたというのと、売り方を変えた。当時は機械の付録のようにソフトの付加価値が低かったが、今で言うサブスクリプション(定額制)のように使った分だけ請求する売り方に変更。業界内では画期的な販売方法であったが、顧客の初期投資を抑え、納得のいくかたちでソフトウェアを利用して頂けるようになった。やがてソフト部門でも独立して採算がとれるようになっていった。
ソフト開発の技術向上は、豊橋技術科学大学との産学官連携によるところも大きい。一時連携が途絶えたが、数年前から学生をインターンシップで受け入れたことをきっかけに復活。現在も基礎研究の部分で協力してもらいながら共同研究を進めている。
―CSR活動について
現在、プロバスケBリーグの「三遠ネオフェニックス」とサッカー「ACミランサッカースクール」を支援している。フェニックスに関しては、せっかく地元にプロスポーツチームができたのだから応援して地元を盛り上げて行こうという気持ち半分、地域への知名度向上目的が半分かもしれないが、企業側の視点から言えば地域の雇用を生み出し、利益を出して地域に納税することがCSRの根本なのではないかと考えている。
―今後のめざす方向性について
来年創業80年なので、100年企業が一つの目標。そうなるためにも長く地域の皆様に信頼され、社員に愛され、顧客に愛される会社でありたいと思う。
※注1=プレカットとは現場での採寸加工ではなく、事前に生産設備等で加工を済ませてから建築資材を現場に持ち込むこと。