鳥居強右衛門の四百五十回忌法要

新城市の新昌寺で/長篠城攻防戦で功名残す

2024/04/23

岡村住職と墓に手を合わせる垣内田さん

 「長篠・設楽原の戦い」(1575年)の口火となった長篠城攻防戦で名を残した鳥居強右衛門(とりいすねえもん)の四百五十回忌法要が21日、墓のある新城市有海の新昌寺(岡村将志住職)で営まれた。回忌法要は50年ごとに行われている。

 鳥居閣の額が納められた本堂と本堂前で行われた「鳥居祭」の後、強右衛門の墓を前に法要が行われ、岡村住職の読経が響く中、参列者らが順に手を合わせた。

 岡村住職は「昨年NHK大河ドラマで強右衛門が登場して以後、多くの人が磔(はりつけ)の場所や墓を訪れている。強右衛門も喜んでいると思う」と話した。

 参列者の中に、5月5日の長篠合戦のぼりまつり武者行列で強右衛門役を務める富岡の垣内田智子さんの姿もあった。「強右衛門役に決まり、うれしさとともに、恥ずかしさもある。当日を思うと身が引き締まる」と語った。垣内田さんは山県昌景役の経験もあり、今回は娘さんとともに参加する。

 強右衛門は長篠城主・奥平貞昌の家臣で、武田勝頼軍に包囲された長篠城から、織田信長・徳川家康に援軍を要請する使者とし派遣された、任務を果たした帰りに武田軍に捕らえられた。武田軍の命令に反し「援軍は来るぞ」と味方に大声で伝えはりつけにされた。亡きがらは胴体が新昌寺、頭部は作手鴨ケ谷の甘泉時寺に埋葬されたと伝わる。

 強右衛門の墓は、住民らが1762(宝暦12)年に創建した。墓碑には命日の天正3年5月16日と戒名「智海常通居士」、俗名「鳥居強右衛門勝商」が記されている。創建後260年余り、慰霊の「鳥居祭」が住民らにより毎年開催されている。

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