永眠直前まで一流の書道家

三河書芸会創設の書家・権田穂園さん亡くなる

2024/02/24

教え子の河合さん㊨が奉納した歌碑の隣で、笑顔の権田さん㊧(昨年3月、砥鹿神社で)

 16日に享年86歳で亡くなった県内屈指の書家、豊川市の権田穂園(すいえん)さん(本名・権田智昭)。三河書芸会を創設し、多くの教え子に親しまれた権田さんは、永眠する直前まで一流の書家であり続けた。

 昨年末に体調を崩し、市内の病院に入院していた権田さん。今年1月19日、家族を通じて届けられる心配の声に応え、集中治療室(ICU)にいた権田さんは筆に力を込めた。「元氣」「すぐ帰るから」「心配かけてすまない」「みんな元氣していろ!」。達筆な文字で記した約束は果たせず、遺作となってしまった。

 長年、豊川高校で書道教員を務めた。オリンピックに出場した同校の生徒や卒業生をはじめ、プロ野球のイチロー選手にも激励の言葉を揮毫(きごう)。愛・地球博会場でも観衆を前に筆を取り、東日新聞には毎年、正月紙面に干支(えと)の作品を寄せた。昨年春には、高校の教え子の河合正秀さんが砥鹿神社に奉納した流鏑馬(やぶさめ)の歌碑の揮毫を頼まれ、「お子さんも読めるように」と字体にもこだわっていた。

 ICUで最期の筆を取る5日前、筆者は病床の権田さんと電話で話した。「由本さーん、いつも記事を拝読していますよ」。いつも通りの優しい言葉をかけてくれた。

 筆者の友人が30歳を機に勤務先を退社し、母親が主宰する書道教室を継ぐことになったことを伝えると、権田さんはうれしそうに言った。「若いのに、すごいね。ぜひお会いしたいです。退院したら連絡しますよ」。

 生前、書家のなり手不足を嘆いていた。書道界にも会派や流派が存在するが、権田さんは誰にでも指導や助言を惜しまなかった。

 故人の人柄を示すかのように、家族はもちろん、多くの企業や団体で権田さんの健筆が重宝されている。

通夜、葬儀・告別式で展示された、権田さんがICUで書いた遺作

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