模擬弾だけの訓練に感じた敗色

豊川市の101歳元兵士が語る「水際撃滅作戦」/表浜などに穴掘り米軍へ備えた日々

2025/02/11

渥美半島に上陸する米軍を想定して阻止する訓練について語る右端の井上さんと山田さん、左端は彦坂代表(豊川市内で、提供)

 太平洋戦争末期の本土決戦に備え、東三河の100歳を超える元兵士が、渥美半島に上陸する米軍を阻止する訓練を繰り返していたと田原市の空襲体験を語り継ぐグループ「前日の会」に語った。訓練には実弾が使われず、敗戦を感じていたという。戦後80年―。前日の会は貴重な元兵士の証言として、市内などで続けている「出前授業」で取り上げる考えだ。

田原市の空襲体験を 語り継ぐグループ/貴重な証言「出前授業」で紹介へ

■使うのは模擬弾
 元兵士は、豊川市行明町の井上初雄さん(101)。前日の会によると、1944年夏ごろ、初年兵として陸軍第3師団内に編成された第73師団(怒部隊)に入隊し、配属先の歩兵第196聯隊(れんたい)本部(現在の豊橋市立青陵中学校)から主に渥美郡(現豊橋市)の表浜海岸に派遣され、米軍の上陸を想定する「水際撃滅作戦」に基づく訓練に携わった。

 表浜の二川から細谷、西七根で掘った穴に隠れ、上陸する米軍を水際で挟み撃ちにする訓練だ。学校や集会所などに宿泊し、同じ初年兵の約20人と一緒に参加し、たくさん穴を掘った。穴は崩れやすく、埋まることも。板を当てて補強した。

 擲弾筒(てきだんとう)部隊の一員であり、擲弾筒を担ぎ訓練に参加し短小銃も所持した。高師原などでの演習にも出向いた。ただ、訓練で撃つのは模擬弾ばかり。実弾を使わず、不思議に感じていた。

 「何の訓練か」―。ある時、上官に尋ねた。水際撃滅作戦と説明を受けたが、「素手で戦争になるか」と疑問を持ったが、「負けるとは言えなかった」という。

 また、表浜から米軍の艦隊が静岡県の浜名海兵団を艦砲射撃するのを目撃し、聯隊本部に向かう途中でB29が豊川市の豊川海軍工廠(こうしょう)を爆撃するのに遭遇したほか、米軍機に一度狙われたものの、大木に隠れて難を逃れた。

 最後に海外で戦争や紛争が起きているのを例に挙げ、「このまま平和が続くかわからない。でも戦争はいけない」と厳しい表情で語った。

 遺跡散策ガイドブック『学芸員と歩く愛知・名古屋の戦争遺跡』では、細谷に陣地や擲弾筒用掩体(えんたい)、砲台が築かれたと記されている。著者で名古屋市見晴台考古資料館の伊藤厚史学芸員は「これを裏付ける元兵士の証言であり、貴重だ」と話した。

■活動で存在知る
 前日の会は、元教員の彦坂久伸代表(76)と山田政俊さん(80)、語り部らメンバー約30人。終戦前日に現在の田原市を走る渥美線の電車が米軍機に機銃掃射を受けて15人が亡くなった空襲体験に各地域の空襲の模様を加え、市内の小学校などで出前授業を開いている。この活動を通し井上さんの存在を知り、昨年秋に聞き取りした。

 彦坂代表は「いったん走り出したら止まらないのが戦争。二度と繰り返さないためにも、井上さんの証言を伝えていきたい」と話した。

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