昭和100年写真が語る渥美半島の歩み⑤

昔はセメント工場、今は御殿山団地/120年の操業に幕 徳利窯の一部が残存

2025/06/03

三河セメント株式会社と汐川(昭和10年発刊の『渥美郡勢総覧』より)

 蔵王山周辺では良質の石灰石が採れ、明治15(1882)年にセメントの製造が田原で始まった。

 上の写真は、昭和10(1935)年頃の三河セメントの工場の全景。工場手前の汐川には、原料の石灰石を運ぶための木造の石船が横付けされている。工場があった汐川河口は汐川干潟でもあったので、干潮時には川底が露出した。このため人力トロッコで運ばれてきた藤七原の石灰石は、汐川左岸の貯石場で木造の石船に積み替え、満潮時を待って対岸の工場へ運ばなければならなかった。

 煙突の左の高い櫓は空中索道(ケーブル)の鉄塔。大正14(1925)年に完成、昭和22(1947)年まで稼働した。片浜採石場と工場間は2・9キロ。34本の櫓(支柱)を立て蔵王山の尾根を一直線に横切り、白谷と片浜の石灰石を工場に直接搬入。写真でも工場の上に150㌔積みゴンドラが確認できる。

 工場専用の引き込み線もできたが、トラック出荷に切り替えられた。需要減に伴い平成14(2002)年、120年の操業を終えた。

 現在では、下の写真のように、アシの茂る汐川の対岸にあったセメント工場はすべて撤去され、黒いパネルが並ぶ太陽光発電所、社宅跡には110世帯が住む御殿山団地ができた。

 三河セメントから小野田セメント株式会社などに経営が変遷した。そのセメント工場の名残は、明治時代にれんがで造られた徳利窯の一部が団地入り口に残されているに過ぎない。

小野田セメント工場跡地と御殿山団地(2025年2月、藤城信幸撮影)

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三河セメント株式会社と汐川(昭和10年発刊の『渥美郡勢総覧』より)

小野田セメント工場跡地と御殿山団地(2025年2月、藤城信幸撮影)

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