戦時中の竹島周辺を児童に語る

90歳と87歳が竹島小で平和教育授業/蒲郡

2025/12/12

戦時中の体験を伝える(左から)酒井さんと三村さん=蒲郡市立竹島小で

 蒲郡市立竹島小学校で11日、平和について学ぶ授業があり、高齢者2人が戦時中の子どもの暮らしを語った。6年生約50人が参加。体験者から話を聞くのは初めてという児童もおり、真剣に耳を傾けていた。

 招かれたのは、地元で生まれ育った三村美千子さん(90)と酒井広美さん(87)。1945年の終戦時には、蒲郡南部国民学校(現・蒲郡南部小)に通っていた。

 蒲郡市では、爆撃や空襲で多数の犠牲者が出た隣の豊川市や豊橋市と違い、大規模な戦禍こそなかったものの、子どもも大人も常に空襲の恐怖におびえていたという。食糧難も深刻で、給食のみそ汁の具がカエルの足だったり、学校の近くでイナゴを捕って食べたりしたという。

 三村さんは「子どもまで竹やりで敵を突く練習をした。勝てるわけがないのに。正しい情報がなかったことが悲劇」とため息をついた。「今は自分の意見が言える世の中。戦争を始めるのは簡単だが、やめるのは難しい。絶対にやらないと心に決めてください」と呼びかけた。

 酒井さんは、海軍工廠(こうしょう)(豊川市)が爆撃された日のことを「東の空が真っ赤だった。蒲郡の人も犠牲になった」と振り返る。「戦後はお米がなくてサツマイモしかなかった。それもすぐに傷んで、大変でした」と話した。

 2組の近藤祐多朗君は「想像と違う生活。白いご飯や電気が当たり前ではないと知った」と感想を話した。

 2人の話によると、戦後の竹島周辺、現在のクラシックホテル一帯は進駐軍に接収され、アメリカ兵の保養地となった。市民は立ち入ることができなかったが、米兵からチョコレートやたばこをもらうなど、友好的な関係を築いていたという。

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