愛大ルーツ・書院出身者の白川正雄さん遺族ら
2025/03/25
藤田名誉教授から東亜同文書院と愛知大学のつながりの説明を受ける白川正雄さんの遺族ら(愛知大学記念館内の大学史展示室で)
愛知大学のルーツ・東亜同文書院(大学)の出身で、インドネシアの独立戦争を支援し戦火で消失したモスクを再建した白川正雄さんの遺族ら7人が21日、豊橋市の愛知大学記念館内の大学史展示室を見学した。
見学したのは、インドネシアから来た白川さんの息子のアゼハル・ユフムド・シラカワさん(73)夫婦と孫で豊川市伊奈町に住むアゼルタ・シャハプトラさん(43)一家4人。孫らと交流があり、インドネシアの事情に詳しい名古屋学院大学の佐伯奈津子教授が引率した。
アゼハルさんらは、館内で1901年に中国・上海にビジネススクールとして設立し大学を経て終戦まで続いた書院の歴史をビデオで見た後、展示室を運営する愛知大学東亜同文書院大学記念センターの元センター長で愛大の藤田佳久名誉教授から「自治体から選抜された学生が入学し、戦時中の学校として『三本指』に入った優秀な学校だった」と説明を受けた。
終戦後の46年、書院の教職員や学生らを受け入れて地方都市で初の旧制大学として愛大が創設された。展示室で、大学創設直後に上級生の提案で文化・音楽祭が盛大に開かれ、日本で初めて中日大辞典が編さんされたことなど、藤田名誉教授の解説を熱心に聞き入っていた。
藤田さんは白川さんを「書院の英雄的な存在の一人」とたたえると、アゼハルさんは「父がここで歴史を残したと知ることができ、とても感謝している」と喜んだ。アゼルタさんも「祖父を誇りに思う」と感激していた。
藤田名誉教授は「東亜同文書院と継承した愛大のつながりを知ってもらって良かった」と話した。
書院の同窓会「滬友会(こゆうかい)」が発行した東亜同文書院大学史などによると、白川さんは42年、東亜同文書院大学に入学。在籍中に学徒出陣し44年にシンガポールへ派遣され、終戦を迎えた。その後、インドネシアに渡り、現地の女性と国際結婚した。独立運動に参加し、戦争で焼けたモスクを再建するなど貢献した。
東亜同文書院記念基金会は94年、こうした功績をたたえ記念賞を贈った。