「豊橋空襲」「豊川海軍工廠空襲」「渥美線電車機銃掃射」/戦後80年体験 と記録の継承
2025/04/15
湊町公園に建つ豊橋空襲犠牲者追悼の碑(豊橋市内で)
「豊橋空襲」(豊橋市)「豊川海軍工廠(こうしょう)空襲」(豊川市)「渥美線電車機銃掃射」(現在の田原市)―。東三河の「三大空襲」とも呼ばれ、空襲の体験と記録を語り継ぐ3団体が集まり20日、豊橋市松葉町の市民センターで初会合を開く。戦後80年を迎え、主催した市内の「豊橋空襲を語りつぐ会」は、「ネットワークを深めるきっかけになれば」と期待を寄せる。
■出前講座・授業
太平洋戦争末期の1945年、米軍機が東三河の中心部や軍需工場、鉄道を狙い、集中砲火した。6月19~20日の豊橋空襲で624人が亡くなり、8月7日の豊川海軍工廠の爆撃で2500人以上が命を落とした。終戦前日の14日には、現在の神戸駅付近で渥美線の電車が機銃掃射を受け、乗客ら31人が死傷した。戦災規模は異なるものの、各地域で最大の惨事となった。
初会合に参加する3団体は、空襲を語りつぐ会のほか、戦争遺跡の保存などを目指す豊川市の「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」、機銃掃射による空襲体験を語り継ぐ田原市の「前日の会」。このうち語りつぐ会は1989年に立ち上がった。空襲のあった日(6月20日)に犠牲者追悼の碑が建つ豊橋市内の湊町公園で平和を誓うつどいを開き、豊川で燈籠(とうろう)を流す。空襲体験者の手記を体験記にまとめたほか、小、中、高校に出向き体験者の出前講座を開く。
工廠跡地保存をすすめる会は96年の設立。市が整備した跡地の一部に平和交流館を建設し、2018年の豊川海軍工廠平和公園の開園に貢献した。公園西側の跡地保存を市などに要請し、体験者の話を次世代に伝える活動にも力を入れる。
前日の会は、元教員が被害者や目撃者らに呼びかけて15年に発足。その一方で聞き取り、それを基に作った紙芝居をメインに田原市内の小学校を中心に出前授業を開き、慰霊祭も営んでいる。
■報告や取り組み
当日は語りつぐ会の総会の後、午後2時前から初会合を開く予定だ。テーマは「東三河の三大空襲を次の世代へ語りつぐ」。3団体が活動を報告し今後の取り組みを紹介する。
戦後80年。空襲を知る世代は激減しており、3団体の会員も高齢化が進み今後、活動をどう進めるかも課題の一つ。この問題が取り上げられるか不明だが、工廠跡地保存をすすめる会の伊藤泰正会長は「同じような方向を向いている他団体との連携は必要」、前日の会の彦坂久伸代表も「『不戦』という共通項の団体が集まることに意義がある」と話す。呼びかけ人で語りつぐ会の長坂すぎ子代表は「これを機に活動に協力関係が高まればうれしい」と語る。