愛大前身「東亜同文書院」OB・小林実弥さん紹介/出身地三重で藤田名誉教授が講演
2025/11/18

講演する愛大の藤田名誉教授(三重県津市内で、提供)
日中の虹の架け橋となった『中日大辞典』を売り出した人はご存知ですか?豊橋市の愛知大学の藤田佳久名誉教授は、三重県津市での講演会で、戦前に中国・上海にあった愛大の前身の東亜同文書院(当時、東亜同文書院大学)で学んだ小林実弥さんを取り上げ、「辞書の出版・販売に功労あった一人」と紹介した。辞典は愛大の編纂(へんさん)と知られているものの、小林さんはその陰に隠れた存在だった。そこにスポットが当たり参加者たちの関心を集めた。
■窮地を救う
藤田名誉教授によると、小林さんは三重県出身。1941年に超難関の書院に合格した。戦後、中国から引き揚げ、51年に東京に中国書専門店「大安」を作り、販売を始めた。一方、愛大は、戦前に書院で作った中国語語彙(ごい)カード約14万枚を中国から返還を受け、55年から鈴木択郎教授を中心に中日大辞典の編纂を始め、辞典は68年に出版された。
先月12日にあった講演会で、藤田名誉教授は、編纂に絡み小林さんをクローズアップさせた。中国の漢字がこれまでの繁体字から簡体字に変わり、「作り変える必要がある。それには約2000万円かかる」と出版のネックになっていた。愛大が販売を打診した出版社から次々と断られた。
その窮地を救ったのが小林さん。書院大学最後の学長で愛大創始者の本間喜一名誉学長からの依頼に、「書院で学んだものとして愛大ために貢献したい。赤字になれば負担する」と出版費の一部を引き受け、大安が辞典の総販売元となった。
50年の日本中国友好協会の設立後、日中関係が好転し始めた。今後、日中貿易が盛んになると見込み中国に進出を考える会社を訪れ、「辞典をお土産に」と売り込んだ。企業の支援なども加わり、予想を覆し、好調な売れ行きで黒字となったとされる。
72年の日中国交正常化で両国の国交が回復した。辞典が取り持ち愛大と中国・南開大学学術協定の締結に発展した。
藤田名誉教授は「小林さんは辞典販売を支えた最大の功労者」とたたえた。講演を聴いた人たちは小林さんに対し、「初めて知った」「縁の下の力持ち」「業績を残し素晴らしい人」などと話し、感心していたという。
■初めて知った
講演会は、愛大東亜同文書院大学記念センターが主催。01年に創設され終戦まで続いた書院の存在と実績を伝えるため、2006年から資料展示も含め全国で開いている。今年で20年目、23会場となった。テーマは「東亜同文書院と三重」で、元記念センター長でもある藤田名誉教授が「三重県出身の東亜同文書院の卒業生たち」と題し講演した。小林さんのほかに書院OBで活躍した三重出身者ら4人を紹介した。
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中日大辞典 採録した見出し字は簡体字を含む7878字。これに対応する繁体字・異体字を併記し総計1万1195字。辞書見出し語は約12万語に及んだ。全2123ページ。初版1万冊を発行した。価格3000円。中国で人気を呼び、「海賊版」が出たほどだった。愛大が編纂(へんさん)を始めて13年、前身の東亜同文書院での編纂を含むと35年に及び、1968年に出版・販売された。