三河武士が日本をつくった―実例交え解説/泰平築いた徳川家康の功績再確認/各家当主が集結 岡崎でシンポ
2026/01/27

江戸時代の岡崎藩や徳川家康について議論を交わす家広さん㊨や各家の当主ら(岡崎市菅生町で)
徳川家康が築いた平和な社会や思想について議論し、功績を再確認する「家康公シンポジウム2026」が17日、岡崎市菅生町の岡崎信用金庫本店大ホールで開かれた。
6回目の今回は「家康公と岡崎藩」をテーマに、家康と岡崎藩主家との関わりについて、各家の末裔(まつえい)が語り合った。前半では德川宗家19代当主の德川家広さんと、家康の母・於大の方の実家である水野宗家20代当主の水野勝之さんが対談。明治時代以降の水野宗家の国会での活躍や、德川宗家とのつながりに触れ、德川さんは「三河武士が日本をつくった実例。三河出身の武家が日本中で国を治め、開発した努力が実り、近代以後の日本が飛躍的に成長した」と振り返った。水野さんは「三河の人の移封によってもたらされた文化や言葉、産業が全国に残っている。歴史は文献調査だけではなく、人間的な流れをベースに考えると良い」と指摘した。
後半では江戸時代の岡崎藩の歴代藩主を務めた本多広孝家、水野忠元家、本多忠勝家の各家当主が加わり、パネルディスカッションを行った。他家との交流や、各家に伝わる家康の逸話などを紹介した後、「先祖が歴史の1ページに載るような人物だから日本史は得意だったか」「将軍や大名の末裔で良かったことは」といった参加者からの質問に答えた。
矢を放った的板の割れ具合で一年の豊凶を占う「武者的神事」が20日、岡崎市伊賀町の伊賀八幡宮で行われた。江戸時代から続く伝統行事で、二十四節気の「大寒」に合わせて毎年実施されている。
最初に判定表を作成。縦軸に的板の割れ具合、横軸に「米」や「自動車関係」、「サービス業」といった占う対象7項目を配置し、くじ引きで28個のます目に上(前年比上向き)、中(横ばい)、下(下降)が割り振られた。その後、斎藤徳蔵宮司(68)が社殿前の矢場で、鬼門(北東)と裏鬼門(南西)に向かって忌(いみ)矢を放ってはらい清めた。
奉射の儀では、同市鳥川町出身の会社員小野浩紀さん(31)が射手を務めた。和太鼓の音で緊張感が高まり、参拝者が静かに見守る中、小野さんは36㌢四方の的板に28メートルの距離から矢を放った。結果は2射とも外れ、「米」が上、「その他五穀」と「商業」が中、「天候気象」「工業」「自動車関係」「サービス業」は下となった。
禰宜(ねぎ)の斎藤延和さん(34)は「厳しい内容が多いが、結果を踏まえて気を引き締めることで乗り越えられれば」と思いを込めた。
神事の結果は、江戸時代からの慣習で德川宗家にも伝えられており、斎藤宮司が毎年上京して報告している。