写真で巡る渥美半島の足跡

㉞「常光寺の今昔」/安政の東海地震で津波約7メートル

2026/07/28

昔の常光寺

 新旧2枚の写真のうち上は1935(昭和10)年頃、下は現在の常光寺の総門と回廊を撮影したものである。総門は1833(天保4)年、常光寺を訪れた渡辺崋山が『参海雑志』にスケッチとして残している。

 常光寺は、1468(応仁2)年、京都の公家・准大臣烏丸資任(からすまる・すけとう)が応仁の乱を避けて堀切の浜辺近くに建立し、浜松普済寺より潔堂義俊(けつどう・ぎしゅん)大和尚を招き開山された。曹洞宗の中でも少数派の寒厳派に属し、江戸時代には三重県の神島や答志島を含む約40カ寺の末寺を擁する奥郡曹洞宗寒厳派の中心寺院であった。

 資任の没後は今川氏の庇護(ひご)、徳川家の保護を受け、1603(慶長8)年には徳川家康より朱印地26石7斗を賜った。1832~33(天保3〜4)年には津波対策のため現在の城山の麓(標高8・5メートル)に移築された。20年後の54(安政元)年の東海地震では、高さ6~7メートルの津波が石垣まで押し寄せた。

 この津波で、西堀切村では233軒中113軒が流出し、死者8名、負傷者60名を出したが、多くの村人は城山に避難した。寺は被災者に米3合や粥などを支給したと伝えられている。

 寺には歴代の住職が書き記した「常光寺年代記」があり、原本は昭和初期に研究のため東京へ持ち出された際に戦火で焼失、現在は写本が残る。この記録により天保の津波対策が実現したとされる。

現在の常光寺

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