東三河平野部の生活と産業支える『豊川用水生みの親』/実行委員会が発足/来年夏、古里の田原市で上演
2026/10/08

近藤寿市郎(田原市博物館提供)
東三河平野部などの生活と産業を支えている豊川用水の生みの親、近藤寿市郎(1870―1960年)=の足跡を描いた演劇が来年夏、古里の田原市で上演される。発足した上演委員会は今後役者を公募し、市民劇として作り上げる。かつて「大ホラ吹き」とまで笑われながらも、幾多の壁を乗り越えて豊川用水の実現に粉骨砕身した寿市郎の足跡を、地元の人たち、特に次代を担う若者に伝えていく。
近藤寿市郎は現在の田原市高松町出身で、愛知県議、衆院議員、豊橋市長を務めた政治家。自伝などによると、県議時代の1921(大正10)年、インドネシアで視察した灌漑施設に着想を得て壮大な水利構想を提唱した。しかし、当時は「世紀の大ボラ」と相手にされなかったという。それでも国政に転身後も諦めることなく訴え続け、豊川用水は戦後の49年に着工へと至った。
工事は20年近くかかり、68年6月1日に通水を開始。しかし、寿市郎はその日を目にすることなく、亡くなっていた。完成した豊川用水は、干ばつに苦しんでいた豊橋、田原など東三河の5市と湖西市を潤し、農業、水道、工業用の水を供給。地域の産業は飛躍的な発展を遂げ、田原市が自治体別の農業産出額で全国一を誇るなど、東三河を「農業王国」へと押し上げた。
「郷里にこれほど素晴らしい人がいたんだ」。寿市郎と同郷の元教諭で自営業の井