1部「戦国の史跡を巡るスタンプラリー」開催/3月に2部「桜植樹」、4月に3部「鳥居閣祭」を展開
2025/02/27
村人が避難した「万人ヶ入」から集落を望む
1575(天正3)年の長篠・設楽原の戦いから今年で450年。戦いの攻防戦で活躍した悲劇の「英雄」とも言える鳥居強右衛門(とりいすねえもん)をたたえ、新城市有海(あるみ)地区は、記念に3部作のイベントを展開させる。うち1部の「戦国の史跡を巡るスタンプラリー」があり、地元の人たちでにぎわった。3月2日に2部の陽光桜の植樹、4月27日に3部の鳥居閣祭が行われる。
■ポイントを巡り
スタンプラリーは23日、有海公民館を発着点として行われた。地区約200人のうち参加した約70人が、スタンプカードを手に持ち、役員らの誘導で区内の約5・3キロを歩き、5カ所のポイントを回った。
このうち、当時の村人が決戦時に避難した小高い丘にある『万人ヶ入』(まんじゅがり)で、「約200人の村人が約1カ月避難していた」との説明を受けた参加者はビックリ。地元でありながら初めて知った人も多かった。
戦いが終わって織田信長が長篠城を死守した城主奥平貞昌を有海の小呂道(コロミツ坂)に呼び寄せその戦功をたたえ、「信」の一字を与えことから名付けられたという「信長賞詞の地」で、参加者らはその「解説」に耳を傾けていた。
松平伊忠戦死の地や鳥居強右衛門磔(はりつけ)の碑を見学。対岸には長篠城址(じょうし)が見え、参加者らは説明を聞きながら、磔の状況を思い浮かべていたようだ。
最終ポイントとなる新昌寺の強右衛門の墓で、参加者は最後のスタンプシールをカードに貼った。公民館に戻ると、地元の人たちの手づくりの汁粉が振る舞われ、参加者らは味わい、会話も弾んでいた。
スタンプラリーに先立ち、あいさつした白頭康弘区長は「子どもたちや住民が地域を歩いて学び、これからずっと頭の中に残してもらえたらうれしい」と述べた。企画した織田昌彦さんは「避難訓練以外住民が集まることが少ないので、良い機会になった。この地で激戦があったことも伝えられた」と喜び、「450年の節目を地元で祝い、思い出や記録に残すことができてうれしい。2部、3部も盛り上げたい」と話した。
■足跡を記録
これまでは長篠・設楽原の戦いから350年、400年の節目には奉賛会が設立され、記念祭が盛大に催された。しかし、450年の時は奉賛会設立の予定がないことから、地区は足跡を記録に残すため記念事業を企画し準備してきた。
長篠城主に仕えた足軽。長篠・設楽原の戦いで武田軍の猛攻で落城寸前の長篠城のピンチを救うため、武田軍の包囲網を潜り抜け、長篠城と織田・徳川軍がいる岡崎城を往復し、「援軍は来る」との情報を持って帰城を試みるが、武田軍に捕らえられた。最後、磔刑(たっけい)に処された。墓と磔(はりつけ)になった場所を示す「磔の碑」が新城市有海地区にある。