帝国主義の光と影 第3回

市民生活にとけ込んだ陸軍師団/軍人らの入営・除隊光景日常茶飯事 除隊記念には杯も/富本・小池町 土産物屋などが軒連ね

2025/08/17

兵役を終えた男性が家族らに贈った除隊記念杯(豊橋市美術博物館で)

 陸軍第15師団設置は、豊橋を「軍都」へと一層色濃くした。皇太子の巡幸や、大正に入ると演習が続くようになり、市街地では軍人らの入営・除隊の光景は日常茶飯事。毎年12月の入営時には4000人以上の関係者が来訪し、旅館や繁華街はにぎわった。富本町や小池町には将校の下宿や兵士向けの食堂、酒屋や土産物屋が軒を連ねた。

 特別に認可された「御用商人」らが兵士の生活必需品を師団に納めて利益を得た。師団内には「酒保(しゅほ)」という売店が指定された商人によって営まれ、日用品や酒などを販売。2銭の酒保用票でかえるあんまきが人気だった。

 徴兵制によって満20歳の男性は兵役義務を負い、服役を終えると家族や郷里の人たちに除隊記念杯を配った。

 師団の兵営から毎日聞こえてくるラッパの音は、近隣地域で農業を営む市民にとって時計代わりとなった。数千頭の馬の蹄(ひづめ)を保護するために蹄鉄(ていてつ)を打つ音は1キロ以上も離れた小浜町にも響き渡り、住民らは「この音が聞こえると雨が近いと感じた」という。師団で出た人糞、馬糞も当時は貴重な肥料で、遠方から大八車を引いて取りに来る人もいた。

 明治以降は文明開化の波が広がり、町の洋風化も進んでいた。市中心部の本町周辺では横文字の看板を掲げ、外国からの輸入品を売る店が増えた。

 1875年には、旧吉田藩士によって豊橋で最初の舶来品店「半開堂」が札木町に開業した。手すりが青色に塗られた西洋風の店舗ではドイツのウロコビール、ガラス瓶に入ったドロップなどの洋菓子、ギヤマンのコップなどが並んだ。当時の子どもたちは、江戸時代から使われた天保銭でパンを買うのが楽しみだった。(つづく)

横文字看板を掲げた洋服店(豊橋市発行「とよはしの歴史」より)

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兵役を終えた男性が家族らに贈った除隊記念杯(豊橋市美術博物館で)

横文字看板を掲げた洋服店(豊橋市発行「とよはしの歴史」より)

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