⑲ 「下地商店街の今昔」/にぎわう港町/今は衰退の一途
2025/12/30

昭和30年代後半の下地商店街(田原市博物館提供)
上の写真には、右手にヤマニ青果食料品店と商品を積んだオート三輪、カサ・クツ屋の看板が見える。左手には肉屋、山治呉服店の看板やのぼり、通りには自転車や買い物客の姿がある。1955(昭和30)年代後半、福江にあった下地商店街のにぎわいを写したものである。
商店街の右手(北側)には免々田(めめだ)川の河岸が広がり、福江港(畠湊)には定期船の船着き場や荷船の荷さばき場があった。料理旅館、芸者置屋、映画館が2館あるなど、福江界隈(かいわい)は港町として栄えた。下地で育った井本俊美さん(86)は「戦後の昭和23年には、下地の繁華街の中心に豊橋交通乗合自動車の発着場があり、豊橋まではバスで2時間ほどで行けるようになった」と語る。
定期バスやトラックが福江と豊橋を往来するようになると、福江港は物流拠点としての役割を終え、福江商店街も65(昭和40)年代中頃から次第に活気を失っていった。73(昭和48)年に国道259号福江バイパスが完成すると、商店街にあった銀行、農協、消防署、警察の機関も次々とバイパス沿いへ移転。陸上交通の発達とバイパスの開通で港町の福江の街の中心は国道沿いへと移った。
下の写真は現在の下地の様子である。かつてさまざまな商店が軒を連ねていた通りは人通りも途絶え、看板も外され、ひっそりと静まり返っている。道路右側に赤字で「Paloma」と書かれた看板が見えるが、その向かい側には51(昭和26)年頃まで豊鉄バスの発着場があった。
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「昭和100年写真が語る渥美半島の歩み」は、好評のため新年から「写真で巡る渥美半島の足跡」とタイトルを変更してしばらく続けます。ご期待下さい。