学園紛争渦中 どう捉えたか㊤ 愛大「法経学部・豊橋校舎」
2026/09/08

かつて豊橋校舎の法経学部の学生が学んだところ。今はセンタービルに生まれ変わった(豊橋市内)
半世紀以上前の学園紛争を経験した卒業生はどう捉え、その後に影響があったか―。豊橋市の愛知大学東亜同文書院大学記念センターは、アンケート調査して愛大在学時の状況などを調査書にまとめた。そのうち東日新聞は、その後の軌跡を追うシリーズ第4弾「大学紛争編」(最終編)として取り上げた。対象者は紛争時に入学・卒業した世代だが、紛争の捉え方に学部や地域で「温度差」が見られた。回答数が限られていたため全体像とまでは言えないものの、傾向の一端がうかがえる。3回に分けて紹介する。初回は「法経学部・豊橋校舎」。
■肯定派、否定派
アンケートに応じた豊橋校舎法学科9人のうち5人が「学費値上げ」と紛争理由を正しく認識していた。うち2人は学費値上げに加え「日米安全保障条約(安保)の反対」などと答えた。「安保」「(革マル派などの)新左翼の台頭」と指摘したのは2人いた。
愛大は当時、「革マル派の拠点」の一つと言われていた。紛争の認識では、2人が「革マルと日本民主青年同盟(民青)の対立」「革マルの副委員長を見かけた」と記した。しかし、「必要な活動」と主張する紛争肯定派、「学生同士の暴力事件」と捉える否定派に分かれた。
5人は紛争の影響に「なかった」と答えた。「行動力」と紛争から学んだ点を結び付けた人もいた。
経済学科では、答えた16人のうち7人が紛争理由を「学費値上げ」と示した。「民青と革マルとかの対立」「革マルなど(の台頭)」などという人もいた。
紛争の活発化で紛争を認識した人は多く、「『大衆団交』などが頻繁にあり、授業が中断された」「集会に参加した」と記した。しかし、紛争の影響には「わからない」も含め「なかった」は12人と最も多かった。
経営学科では、答えた5人のうち2人が紛争理由に「学費値上げ」と書いた。こちらも紛争の活発化で紛争を認識した人は多く、「紛争にやや共感」という人も。紛争の影響は「なかった」が2人だった。
■3年3カ月続く
報告書によると、愛大の学園紛争は、1968年12月の学費値上げを発端に始まり、3年3カ月間続いた。安保の改定・自動延長も絡み政治闘争、ベトナム反戦運動などへと発展した。アンケート調査は2024年夏、71年度に卒業した豊橋校舎法経学部法学、経済学、経営学の3学科932人を対象に行われ、44人が回答した。
調査した愛大名誉教授で愛大東亜同文書院大学記念センターの藤田佳久・元センター長は、「答えた人が少なかったのは紛争と距離を置いた現れでは。そのうちの半分ぐらいは紛争理由を認識していたのは、紛争を客観的にとらえていたのだろう」と語った。
東日新聞では「旧制編」(法経学部)と「新制編」(同、文学部)を皮切りに、すでに第4弾「大学紛争編」(追加編)まで掲載している。