愛知大学 同文書院スピリット継承へ着々

全国から学生集まる大学目指して/「日本のへそ」利点生かし全国区へ―あくなき挑戦

2019/05/30

 愛知大学が豊橋の地に開学して73年。この間、中部私学の雄として各界に多くの有能な人材を輩出してきた。社会的評価が高まる一方、もう一段の飛躍によって全国区の大学を目指す試みも着々と進んでいる。「日本のへそ」に位置する利点を生かし、実質的な前身校である東亜同文書院大学のスピリットを継承できるか。ダイナミックに変化する時代の動きと相まって、飽くなき挑戦は続く。

 ▪前身は国際的ビジネススクール
 愛知大学は1946年11月、豊橋で設立された。そのもとになったのは、戦前に中国・上海にあった国際的なビジネススクールの東亜同文書院大学だ。

 国策として教育・文化による日中友好を目指したこの大学は当時、海外にいくつもあった日本の高等教育機関の中で最も古い歴史を持つ。

 日本各地から集まった府県派遣生らに、当代一流の教授陣が徹底したエリート教育を施し、グローバルに活躍できる国際人を養成した。教育レベルの高さは折り紙付きで、同大学の卒業生であれば当時の最高学府の帝国大学に無試験で入学を許されたほどだという。

 敗戦で東亜同文書院大学は中国に接収され、教職員や在校生は行き場を失った。最後の学長を務めた著名な法学者の本間喜一(1891~1987年)らが中心となり、その受け皿として豊橋の陸軍跡地に旧制の法文系大学として愛知大学を設立した。その名前には、「知=智を愛する」という崇高な理念が込められている。

 7つの学部と大学院、短大部を擁する総合大学として発展するなかで、2012年には名古屋駅のすぐ近くに名古屋キャンパスが開校。常に時代にマッチした教育体制の充実を図ってきた。卒業生は14万人を超え、「愛大ブランド」を築き上げた。

 中部地方を代表する大学としての地位を固めた愛知大学だが、入学者のほとんどが東海4県出身という現状に、OBの越知專さん(88)=豊橋市=は「東亜同文書院大学のように、全国から学生が集まる大学をもう一度目指すべきだ」と訴える。

 大学当局も、全国区の大学へと転換を図ろうと、すでに取り組んでいる。その一例が、首都圏での就職活動などを支援する東京霞が関オフィス(東京・千代田)だ。

 ▪首都圏での就職支援に成果
 東京駅からほど近い官庁街にある高層ビル。その37階に、愛知大学の首都圏における活動拠点がある。

 東京霞が関オフィスは07年に開設された。この場所に移転する前から担ってきた同窓会の事務局機能は維持しつつ、いまや業務の8割は就職支援が占める。

 毎年約100人の学生が、同オフィスを拠点に首都圏での就職活動を行う。19年度はこのうち半数が東証1部上場の大企業の内定を勝ち取った。有名大学の学生たちと就職戦線で互角に渡り合うために、エントリーシートの添削や面接の練習など、きめ細かな指導をしているのが守能伸幸所長(67)と夏目益良キャリアアドバイザー(69)だ。

 地道に開拓してきた780社もの情報を学生に提供し、内定獲得をサポートする。3月から隔週で同オフィスを訪れ、就活について2人に相談している国際コミュニケーション学部4年の矢野愛生(めい)さん(21)は「私に合った会社を親身になって探してくれるので信頼しています」。

 夏目さんは「親が大学を評価するときの基準が卒業時の偏差値、つまり『就職力』に移ってきている」と指摘する。就職支援で結果を出し続ければ大学にとって絶好のアピールポイントになり、全国から優秀な学生を引き寄せることにつながる。学生募集の面でも東京霞が関オフィスが果たす役割は大きい。

 ▪三遠南信は「日本のへそ」
 受験生に「この大学に入りたい」と思わせる要素とは何か。好調な就職実績はもちろんだが、充実した奨学金制度も判断材料になり得る。愛知大の場合、東海4県以外からの進学者を対象にした制度や大分県出身者向けの奨学金、そして19年度には越知さんの寄付をもとに東北6県から進学した学生に奨学金を給付する制度ができた。全国から集まる学生を費用面で支える仕組みは、東亜同文書院大学時代を彷彿とさせる。

 さらに全国区を目指す上で、愛知大学には「地の利」があると越知さんは考えている。日本列島の地図を広げたとき、中心に位置するのは東京ではなく大学の創立地、豊橋だというのだ。

 こうした地理的特性を早くから認識し「豊橋は日本のへそ」と最初に謳(うた)ったのは、1960年から15年間に渡り豊橋市長を務めた河合陸郎氏(1902~76年)とされる。河合氏と親交があり、昨年亡くなった元中部ガス社長の神野信郎氏は「日本のへそ」の考え方を発展させ、全アジアの先端技術と流通の拠点を誘致すれば「アジアのへそ」になると著書(「ありがとうを未来へ」)の中で説く。神野氏が壮大なビジョンを描いたのは、それだけ豊橋の潜在力を認めていた証拠だ。

 豊橋が日本の中心にあることを示す一例として、三河港の繁栄ぶりを挙げられよう。同港には海外の名だたる自動車メーカーが輸入拠点を設け、年間20万台以上が陸揚げされる。外国車の輸入実績は全国の港の中で26年連続日本一を記録し、その勢いはとどまるところを知らない。

 主要メーカーが同港を戦略上重視するのは列島のど真ん中にあり、全国に輸入車を運搬する際の利便性が高いからにほかならない。企業誘致に尽力した先人の功績は言うに及ばず、地理的な優位性をフルに生かして日本を代表する「自動車港」に発展を遂げたというのは、まぎれもない事実だ。

 そしてもう1つ、「日本のへそ」としてのポジションを後押ししていると言えるのが、国が掲げる「スーパー・メガリージョン」構想だ。27年のリニア中央新幹線の開通によって結ばれる東京―名古屋―大阪の三大都市圏を1つの巨大な経済圏として捉えるもので、それまでの国土の見方を大きく変える可能性を秘める。

 三大都市圏で中核を担うのは名古屋だが、それに負けず劣らず巨大圏域の中心部で存在感を見せているのが三遠南信地域だ。

 同地域は言うまでもなく、豊橋を中心とした東三河と静岡県西部(遠州)、長野県南部(南信州)をひとくくりにした呼び名のこと。3県にまたがっているが、古くから人やモノが行き来して経済的つながりが深く、住民の肌感覚では1つの文化圏を形成してきた。県境による分断を見直す動きは、1994年に始まった三遠南信サミットから顕著になった。連携のあり方を議論する場として毎年、域内の自治体や経済団体などが一堂に会する。

 リニア中央新幹線は南信州の飯田市に停車する予定。豊橋市と遠州の浜松市には新幹線が停まる。そして三遠南信地域は、いずれ全長100キロに及ぶ高規格道路(三遠南信自動車道)で結ばれる見通しだ。

 これらアクセスの良さは経済発展の芽を育む。さらに同地域は自然環境に恵まれ、農業など第一次産業が盛んな豊かな土地でもある。70年以上前、中国から引き揚げて大学を再興する場所として三遠南信地域にある豊橋を選んだ本間氏を、越知さんは「先見の明があった」と称賛する。

 地政学的なポテンシャルを持ちつつ、今後さらに重要性を増してくるであろう「日本のへそ」。その地にある大学で学ぶため、東亜同文書院大学のように全国から若者が集う未来も、そう遠くないのかもしれない。

2019/05/30 のニュース

愛知大学の起源とされる東亜同文書院徐家匯虹橋路校舎(愛知大学提供)

愛知大学東京霞が関オフィスで学生の相談に乗る夏目さん(中央)

本間氏の写真の前で母校への思いを語る越知さん(愛知大学豊橋校舎で)

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