if視点で振り返る「昭和百年」

「ドイツ村計画」「新軽井沢構想」実現していたら…/九州龍谷短期大図書館長の岩瀬彰利教授/ユニークな歴史書出版/「未来の街づくりのヒントの一つに」

2025/07/30

出版された歴史書「もしかしてこんな愛知だった?」と編著の岩瀬教授(豊橋市内で)

 豊橋市の表浜海岸に「ドイツ村計画」、奥三河の高原で「新軽井沢構想」があったことをご存じ?戦災・災害で姿を消した街や頓挫(とんざ)した計画・構想を紹介し、戦災がなく計画なども実現していたらどうなったかを考えてもらうユニークな歴史書が出版された。編著者で九州龍谷短期大学図書館長の岩瀬彰利教授=同市=が「昭和百年」を振り返り、まとめた。27日、市まちなか図書館のイベントでPRした。

 ■明暗分ける
 歴史書はタイトルが「もしかしてこんな愛知だった?」。この中で取り上げたドイツ村計画は1991年、バブルの時にいわゆるリゾート法が制定されたのを受けドイツのフォルクスワーゲンなどが豊橋に進出したこともあり決まった。市と財界が中心となって協議会を立ち上げ、計画を進めていた。

 村には核となる「中世ドイツ城郭都市」、「農業公園」、「クアリゾート」を配置した。広さ14・2ヘクタール。年間200万人の集客を目指す。長崎県のハウステンボスを青写真にした。しかし、バブル崩壊とその後の景気低迷で隣のゴルフ場が開発から撤退、同じようにドイツ村計画が消えていった。

 新軽井沢構想は戦前の33年、当時の知事の発言で動き始めた。知事は作手村(現新城市)を視察し景観が軽井沢に似て夏の避暑地に最適と感じ、交通便が良くなれば京阪、東京方面からの誘客が図れると考えた。

 岡崎市と蒲郡市を結ぶ鉢地坂トンネル辺りが箱根に似ており、「新箱根」として売り出したバス会社は、新箱根と新軽井沢の運行を岡崎市の本宿駅発で34年と決めた。

 新軽井沢は40年のガソリン統制が響き構想だけで終わった。一方、新箱根は戦後復活し廃線となるまでしばらく続き、明暗が分かれた。

 岩瀬教授は「ドイツ村ができたら多額の負債を背負い、お荷物の施設となっただろう」と捉える。「新軽井沢の作手は新箱根の蒲郡より知名度がなく、計画倒れになった」とみる。

 ■二本柱
 歴史書は「戦災・災害がなかったら……」と「頓挫してしまった構想、語られた夢」の二本柱。それぞれ「空襲でなくなった豊橋の街並みをさぐる」「戦時下に失われた豊橋の文化財」「消えた東洋一の兵器工場とその余滴」など16編、「日本初の全天候型球場として計画されたノリタケドーム」「幻の名古屋オリンピック騒動記」など33編が載っている。

 失われた街の復元や頓挫した背景を掘り下げ、未来の街づくりのヒントの一つにつながればというのが出版の狙い。岩瀬教授は昨年夏、教員や学芸員ら33人に執筆を働きかけていた。初版は2500部を印刷。豊橋市の豊川堂や精文館のほか、県内の主要書店やインターネットで販売している。税抜きで1800円。

「ドイツ村計画」があった豊橋市の表浜海岸の一部(提供)

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「ドイツ村計画」があった豊橋市の表浜海岸の一部(提供)

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