昭和100年写真が語る渥美半島の歩み

⑪豊島駅北の今昔/昔は東部農村共同経営組合 今は公共駐車場

2025/08/26

豊島駅北にあった東部農村共同経営組合出荷場(昭和10年刊『渥美郡勢総覧』より)

 上の写真は、1920(大正9)年に創立された東部農村共同経営組合で、豊島駅の北側にあった。41(昭和16)年の『半島渥美』の作文をもとに見ていきたい。

 東部の組合には、大小幾棟かの建物が並んでいる。全ての食糧、飼料、肥料はこの組合から受け取る。組合員は295人。大きな2棟の倉庫には、収穫時に米麦類が見事に積み込まれる。

 事務所側は購買部で日用品がそろう。鶏卵やそさいは広い出荷場で扱う。右に回ると利用部の工場で、毎日大きなモートルがうなりを立てて回っている。家で取れた小麦を届けておき、夕方になるとざるやろじを持ってうどんを受け取りに来た人でにぎわい、大繁盛だ。

 この側にみそやしょうゆの製造工場があり、大きなおけがいくつも並んでいる。少し離れて大きな育雛舎(いくすうしゃ)があり、一度に5000羽のひなを育てることができる。この前に砂糖の製造場がある。豊島では畑で作ったかんしょで自家用砂糖を作るので、甘いものには不自由しない。組合が嫁入りから葬式まで一式を決められたように工面してくれた。

 終戦前日の8月14日、この近くで米軍のP52戦闘機が渥美線電車を狙った悲惨な出来事が起こった。機銃掃射を受けた15人が即死、16人が重軽傷を負った。同時期に東部出荷場も攻撃を受け、機銃弾が当たり2階の広間の柱が折れた。

 下は現在の写真。豊島駅北は東部地区公共駐車場に変わり、右手には田原東部市民館分館が建っている。

豊島駅北の東部地区公共駐車場(2024年、彦坂久伸撮影)

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豊島駅北にあった東部農村共同経営組合出荷場(昭和10年刊『渥美郡勢総覧』より)

豊島駅北の東部地区公共駐車場(2024年、彦坂久伸撮影)

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