⑫柳町の今昔/地震直後の惨事 市街地整備で街並み一変
2025/09/09
東南海地震で倒壊した旧田原町柳町の建物(1944年12月7日撮影、愛知県公文書館所蔵)
上の写真は、1944(昭和19)年12月7日に撮られた。80年前の旧田原町柳町、昭和東南海地震直後の惨事である。
1階が押しつぶされた屋根瓦の家が3棟。がれきの中には「時計蓄音□」と書かれた看板。 道路では消防団員が見守る中、つぶれた屋根から2階に入ろうとする鉄かぶとをかぶった兵士たち。奥には壊れた店舗のコンクリート壁が傾いて立っている。
田原中部国民学校の故小沢耕一先生の手記が残されている。
午後1時半過ぎ、職員室が突然激しく揺れ出した。地震だ。揺れが収まると、小沢は柳町へ走った。
県道南側の50メートル区間の商店、民家11軒が軒並みぺしゃんこだ。平屋のようになった屋根の上で、7、8人の兵隊がつるはしを振り上げ、屋根をこじ開けている。屋根瓦、2階の天井板、畳に続いて、1階の天井板が取り除かれた。「見えたぞ!」しばらくして兵隊に抱きかかえられた土まみれの少女2人が、穴から救い出され、歓声が上がった。
柳町は埋め立て地で地盤は軟弱だった。44年の夏頃から、米軍の本土上陸に備えて、田原に駐屯していた「怒部隊」の兵士たちによる緊迫した救出劇が、写真と手記によって鮮明に記録されていた。
下の写真は、現在の柳町。地震で倒壊した時計店やコンクリート壁の石黒薬局が姿を消し、かつて道の両側に旅館や商店が並んでいた街並みは、近年の市街地整備により、大きく様変わりした。