未来へ100歳迎えてつなぐ記憶/渥美線電車機銃掃射で救護の元看護師/田原の河合アヤエさん思い語る/尊い犠牲者の上に平和がある―
2025/09/17
「渥美線電車機銃掃射」について取材に応じる河合さん(田原市野田町で)=提供
太平洋戦争終戦の前日、現在の田原市を走る電車が米軍機の銃撃を受けて31人が死傷した戦災「渥美線電車機銃掃射」で、病院で看護師として救護にあたった市内の女性が数えで100歳を迎え、取材に応じて当時を振り返った。「尊い犠牲者の上に、平和がある」と感謝し、「戦争を繰り返してはいけない」と警鐘を鳴らした。
■悲しい出来事
女性は7月7日、白寿となった市内野田町の河合アヤエさん。機銃掃射を語り継ぐ市民グループ「前日の会」(彦坂久伸代表)最高齢の会員だ。前身の「豊川流域研究会」が2016年にまとめた証言集で「忘れられない搬送者たち」として語っている。
証言集とその後の調査によると、旧渥美病院の外科外来で働いていた河合さんは昼前ごろ、銃撃を受けて運ばれたけが人の看護に追われていた。その中で銃撃前に病院にいて空襲警報が出て「危ない」と止めたにもかかわらず、38歳の主婦は外に出て惨事に巡り合った。
背中に銃撃を受けた中学校1年の男性は手術台で「天皇陛下万歳」と叫んだ。幼児とその母親はそばにおり、ひん死の重傷を負っていた。いずれもその後亡くなった。「病院であった出来事は死ぬまで頭から離れないと思う」と結んでいる。
取材には、彦坂代表と山田政俊前代表、本田泰敏副代表の3人が立ち会った。河合さんは渥美線電車機銃掃射に関して「生きた心地がしなかった。人生で一番悲しい出来事」と位置付けた。そのうえで忘れられない搬送者たちのうち、天皇陛下万歳と叫んだ中1を取り上げ、「普通では考えられない。痛ましい」と嘆いた。
約1時間半の取材で「口では言えない」「頭が混乱している」と何度も繰り返した。悲惨な話だけに具体的には語らなかったようだ。ただ、戦争を知る世代として次世代に何を伝えるかについて「戦争はいかん。平和でないと子どもはかわいそう」ときっぱり。平和を継承する必要性を訴えた。
前日の会は15年から、関係者の話を基に作った紙芝居と空襲体験を語る出前授業を地元の小学校を中心に開いている。河合さんは2回出席した。彦坂代表は「元気で話もしっかりしている。機銃掃射の話を周りの人たちに伝えていってほしい」と話した。
■ダブルのお祝い
愛知県は8月20日現在で、数えで100歳の高齢者2847人に敬老祝い品を贈呈する。河合さんも対象者の1人。同居する長男の義和さん夫婦は「ゾロ目」の白寿の誕生日にごちそうをして祝った。県の祝い品も加わることで、河合さんは「長生きしたことに対するご褒美。今は一番幸せ」と喜んだ。
終戦前日の1945年8月14日、三河田原駅を出発した名古屋鉄道(現豊橋鉄道)渥美線の電車が、現在の田原市の神戸駅付近で米軍機P51の機銃掃射を受け、乗客約40人のうち乗員らを含め15人が死亡、16人が負傷した。近くの踏切の前に「大東亜戦争動員学徒殉職之碑」が建立されている。