昭和100年写真が語る渥美半島の歩み

⑬江比間・新堀橋の今昔/昔は泉村信用販売購買利用組合、今はJA愛知みなみ泉支店

2025/09/23

新堀橋西にあった泉村信用販売購買利用組合(1935〈昭和10〉年出版『渥美郡勢総覧』より)

 上の写真は、1934(昭和9)年の泉村信用販売購買利用組合で、江比間にあった。主な業務は、小麦とうどんの交換、精米・精麦の出荷、米の倉庫保管、鶏卵の入出荷などであった。

 泉村は三方が山で囲まれ、山地からの地下水が各所で湧き出て、「泉村」という地名の由来ともなっている。組合の横を新堀川が流れ、石造りの新堀橋を渡ると泉小学校があった。

 江比間には、ほかにも今堀川が東側を流れ、2本の堀川が存在する。南に広がる72ヘクタールの沖田は、低湿な深田であり、耕作に困難を伴っていた。明治末に乾田化を目指した耕地整理が行われ、事業の中心が排水路(堀川)の掘削であった。

 新堀川べりで生まれた鈴木正一さん(74)に話を聞いた。「53(昭和28)年の13号台風では、高潮が発生し、新堀川沿いの家々に避難勧告が出た。父は豊橋から戻れず、母が姉妹と2歳10カ月の私の手を引いて、膝下まで水に浸かりながら泉農協を目指した。農協の建物も浸水していて、2階で不安な一夜を過ごした記憶がある」

 13号台風の通過は秋分の大潮の満潮時と重なり、2・5メートルの異常潮位を記録。泉村・福江町の海岸堤防が各所で決壊し、海水が流れ込んだ。標高2㍍前後の江比間集落では、ほとんどの家が浸水した。

 下の写真では、現在のJA愛知みなみ泉支店が建ち、新堀橋も架け替えられている。

新堀橋のほぼ後ろにあるJA愛知みなみ泉支店(2024年5月・藤城信幸撮影)

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新堀橋西にあった泉村信用販売購買利用組合(1935〈昭和10〉年出版『渥美郡勢総覧』より)

新堀橋のほぼ後ろにあるJA愛知みなみ泉支店(2024年5月・藤城信幸撮影)

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