⑮赤羽根大石海岸周辺の今昔」/盛んな地引網漁 今はサーファーのメッカ
2025/10/21
昭和20年代の赤羽根大石海岸周辺(鈴木政一撮影)
上の写真は、昭和20年代に赤羽根東の海食崖の上から大石海岸と一色ノ磯を撮ったものである。
海食崖は、地元では「ほうべ」と呼ばれている。高さ30㍍ほどが連なり、松の木が生えた防潮林と1944(昭和19)年12月の東南海地震で崩落した露頭が続く。一色ノ磯の沖にオオイソの岩礁も確認できる。
太平洋の穏やかな波が寄せる広い砂浜の上には、漁網や漁具が置かれ、2艘(そう)引きの機械船が出漁の時を待つ。
終戦直後、大石海岸を含む表浜一帯は地引網漁が盛んで豊漁に沸いた。しかし、47(昭和22)年頃から舞阪方面から来た漁船による沖取りが増え、漁獲量が漸減。打開策として、機械船によるシラス網漁が導入されたが、遠浅の砂浜から出漁するには、4㌧未満の機械船しか使えず、10年余りで網仲間の解散が続いた。昭和30年代には表浜一帯の漁業は衰退していった。
下の写真は、ドローンで撮影した現在の様子。海食崖は植生に覆われ、樹木の間に見える建物は、田原市が推進する「サーフタウン構想」に基づいて建設されたホテルである。
一色ノ磯から赤羽根漁港まで続く砂浜は「太平洋ロングビーチ」とも呼ばれ、全国屈指のサーフポイント。日本各地から多くのサーファーが集まる。
海食崖の下にはサーファー用の駐車場やシャワー設備なども整備され、国際大会なども開催される。前面の砂浜は、赤羽根漁港の防波堤の建設により、砂の堆積が進み、2倍以上に拡大している。