⑮福江港の今昔/物流拠点として繁栄 今はひなびた漁港
2025/11/04

昭和30年代の福江港(田原市博物館提供、個人所蔵)
 上の写真は、福江港である。手前の古田側の石垣に立つ2人の男性の前方には、免々田川の河岸に並ぶ倉庫群と木造船が写っている。木製の小さな桟橋の後ろには漁師たちの製氷施設も見える。
 福江港の前身が畠湊。1887(明治20)年に上村杢左衛門が福江と亀崎(半田)、熱田を結ぶ定期航路を開設し、煮干しや鮮魚を名古屋の市場へ送り出したことから発展。福江港になってからも1955(昭和30)年頃まで物流の拠点として栄え、名古屋、半田、蒲郡、豊橋、鳥羽などへ定期船が運行していた。
 満潮時の河岸には多くの汽船が発着した。『渥美町史・歴史編・下巻』によると、乗降客数は28(昭和3)年の6万1000人をピークに54(昭和29)年が2万人、62(昭和37)年が1万人と陸上交通の発達とともに次第に衰退した。海上交通の拠点も、64(昭和39)年に完成した伊良湖港へと移っていった。
 下の写真は、現在の福江港。干潮時には浅瀬が広がり、免々田川河口の福江漁港には、船外機付きのFRP (繊維強化プラスチック)製の小型漁船が河口の干潟に並んでいる。
 福江町の井本俊美(86)さんは「右側にマツが見えるから、伊勢湾台風前の写真だろう。満潮を待って、タンタンタンという音を響かせながら焼玉エンジンの船が港に入って来た。薪(まき)や石炭を積んだ10㌧ほどの船が船着場に木橋を架け、天秤棒(てんびんぼう)で荷を担いで下ろしていた」と語る。