多くの住民らの苦悩や努力 資料とともに/前町長・横山光明さん「道のり後世へ残したかった」
2025/11/26

冊子を手にする横山さん(設楽町で)
設楽ダム建設合意に至るまでの地元住民の活動記録を、前設楽町長の横山光明さん(76)が「設楽ダム対策協議会のあゆみ」としてまとめた。B5判で、資料や当時の新聞記事を含めて175ページ。「水没予定地の住民をはじめ大勢の人が思い悩み、努力した道のりを後世に残しておきたかった」と話している。
水没予定地やその付近の住民、地権者によって設楽ダム対策協議会(対策協)が組織されたのは1991年。この時点で、県が建設計画を公にしてから18年近くが経過していた。
横山さんは、町の担当職員として立ち上げから深く関わった。当時の状況について「建設に反対していても計画自体はなくならず、国や県からの圧力が強まった。補助金を使う町の事業に影響が出ていた」と振り返る。
冊子には、対策協の設立前後やダム計画の規模拡大容認、用地測量受け入れといった節目に際し、町や国、県とどんなやり取りがあったかなどを記した。
2009年2月の建設同意調印式では、対策協の大久保成一会長(当時)が「我々関係者は本当に長い間、この設楽ダムと戦ってきました。結末を知ることもなく、他界した者も少なくありません」とあいさつ。その内容も採録している。
水没予定地の住民ら124世帯は町内外へと移転した。冊子の記録は調印式までだが、対策協は現在も活動を継続。年1度開く総会などで、ダム事業の進ちょくについて国や県から報告を受けているという。
冊子は移転世帯などに配布された。問い合わせは、町企画ダム対策課=電話0536(62)0514=まで。