写真で巡る渥美半島の足跡

㉟「柳町の今昔」/市街地整備で様変わり

2026/08/11

1944年の東南海地震直後の旧田原町柳町(愛知県公文書館所蔵)

 上の写真は、1944(昭和19)年12月7日に起きた東南海地震直後の旧田原町柳町の惨状を撮ったものである。

 1階が押しつぶされた屋根瓦の家が3棟並び、がれきの中には「時計蓄音□」と書かれた看板が見える。消防団員が見守る中、鉄かぶとをかぶった兵士たちが、つぶれた家の屋根から2階に入ろうとしている。奥の石黒薬局のコンクリート壁も傾いている。

 田原中部国民学校の故・小沢耕一教諭の証言が残されている。

 「午後1時半過ぎ、職員室が突然激しく揺れ出した。『地震だ!』
 揺れが収まると、小沢は柳町へ走った。県道南側の50㍍区間に並ぶ商店や民家11軒が軒並み倒壊していた。平屋のようになった屋根の上では、7、8人の兵士がつるはしを振り上げ、屋根をこじ開けていた。屋根瓦、2階の天井板、畳に続いて1階の天井板が取り除かれた。『見えたぞ!』という声が上がり、兵士に抱きかかえられた土まみれの少女2人が穴から救い出され、歓声が湧いた。…柳町は埋立地であり、地盤が軟弱であった」

 米軍の本土上陸に備え、田原に駐屯していた「怒(いかり)部隊」の兵士たちによる救出劇は、写真と手記によって鮮明に記録されていたのである。

 下の写真は、現在の柳町である。地震で倒壊した平原時計店やコンクリート壁の石黒薬局は姿を消すなど柳町通りの街並みは、近年の市街地整備ですっかり様変わりしている。=再掲=

市街地が整備された田原町柳町(2025年に藤城信幸撮影)

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1944年の東南海地震直後の旧田原町柳町(愛知県公文書館所蔵)

市街地が整備された田原町柳町(2025年に藤城信幸撮影)

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