「吉田城址豊橋公園」ふさわしい

【寄稿】豊橋公園の改称について思う事/NPO法人「吉田城復元築城をめざす会」代表理事 木戸珠造

2022/05/20

吉田城復元築城をめざす会の会員ら。前列右端が木戸さん

 先日、広報とよはしに「豊橋公園の新しい名称案を募集します」という記事が載りました。この件は私たちの会が何年も前から市に豊橋公園の名称の前に「吉田城」等を付け加えてほしいと提案してきたことです。しかし、市は「豊橋公園」の名がずっと使われていて市民がなじんでいるからと、検討すらして頂けませんでした。今やっと検討してくれるようになり、うれしく広報を拝見しました。

 早速、会の運営会議に諮り「吉田城址豊橋公園」が公園名にふさわしいとの見解でまとまり、応募しました。

 いま豊橋公園がある場所には、戦国の世に豊川(牛久保)あたりを治めていた地方豪族の牧野古白が築城した今橋城がありました。城として絶好の場所だったため近隣の戦国武将たちによる争奪戦が続き、その後、名前も吉田城に変わり城主も入れ替わりました。1590年当時、ほぼ天下を統一した豊臣秀吉の命で、のちに世界遺産となる姫路城を築城した池田照政(輝政)が15万2千石の領地を治める吉田城主となり入城。池田照政は吉田城に10年間在城し、吉田城郭を東西1・4キロ、南北600メートルという巨大な城に補強拡張し、吉田宿の整備と、吉田川(豊川)に木橋も作り治水事業として霞堤も機能させました。まさに豊橋市(吉田宿)の基盤がこの頃作られたと言っても過言ではありません。

 もちろん、今ある豊橋公園や市役所、美術博物館、豊城中学校、NHK、各市営スポーツ施設などは全て、池田照政が拡張した城跡の中に存在しているのです。市民の皆さんは吉田城を含めて豊橋公園名で親しんでおられる方は多いと思います。しかし、戦国時代から存在して続100名城(昔は一時100名城に入って時期あり)になった吉田城が、後からできた豊橋公園の一角にある小さな城であるような捉え方をされて影が薄いようでは、御先祖様に申し訳ないと思うのです。

 現在は大河ドラマの影響もあり、全国的な城ブームです。最近でも近隣の何カ所かの都市で駅や地名にその土地の城の名を入れるところも増えているようです。豊橋市も市民の誇りとして、また観光振興の一環として、吉田城の史実を大いに利用発信して、みんなで郷土を盛り上げようではありませんか。

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