太田白雪句碑の案内板新設

三河芭蕉会/よりわかりやすく 郷土の俳人紹介

2018/08/31

 江戸時代の代表的な俳人・松尾芭蕉(1644~94年)を研究する「三河芭蕉会」(豊田俊充会長)は27日、豊橋市船町の豊川に架(か)かる豊橋(とよばし)近くの川岸に建つ太田白雪(はくせつ)の句碑の案内板を新しくした。豊田会長は「郷土の俳人、太田白雪についてあらためて知るきっかけとなれば」と期待を寄せる。

「後世に残したい」と思い込める

 句碑は、1691年に白雪が息子らと豊川を舟で下ったことを詠んだ句「白魚の城下までや波の皺」を紹介するため、地元の「船町しじみ会」と「三河芭蕉会」らにより1997年に建立。傍らに句の解説をした案内板も設置した。

 豊田会長が今年7月、案内板にへこみがあるとの知らせを受けて新調を決意。会から費用をねん出し、各機関へ届けを出した。「せっかくだから、わかりやすい文に変えよう」と、解説文も平易にし、漢字にはふりがなを付けた。

 太田白雪(1661~1735)は、現在の新城市の俳人で郷土史家。松尾芭蕉に師事し、句集「きれぎれ」を出版した。1691年に芭蕉を新城に迎えた際には、案内役を務めた。新城市内の2カ所にも句碑が建つ。

 豊田会長は、句碑と新調した案内板に込めた思いを「きれいな水にしか住まない白魚と、豊橋と新城を結ぶ地元を流れる川を詠んだ素晴らしい句。後世に残していかなければならない」と話している。

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【句の意味=白魚が産卵のために豊川を群れをなして遡(さかのぼ)り、吉田城の下手まで皺のように見えた】

2018/08/31 のニュース

句碑と新調した案内板(豊橋市船町で)

古い案内板(豊田会長提供)

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