「設楽は文化の発信地」

ダム関連発掘調査成果報告会/考古学者の設楽博己・ 東大名誉教授が講演

2024/03/11

講演を行う設楽氏(設楽町役場議場で)

 設楽町で9日開かれた設楽ダム関連発掘調査成果報告会に、考古学者の設楽博己・東大名誉教授が招かれ、講演を行った。設楽氏は、弥生土器の一つである「条痕文(じょうこんもん)土器」が同町近辺から関東方面などへ伝わったと紹介。「設楽町は『条痕文』文化の発信地だった」と語り、集まった考古学ファンの知的好奇心をくすぐった。

設楽町の笹平遺跡から出土した条痕文土器

弥生土器伝わった経路紹介

 条痕文土器は細い竹などで引っかいた無数の線が特徴だ。設楽町の遺跡からは、つぼやかめが見つかっている。

 弥生時代が始まった頃の代表的な土器としては、稲作とともに九州から広がった「遠賀川(おんががわ)式土器」がある。しかし設楽氏によると、その流れは愛知県辺りでほぼストップし、代わって条痕文土器が東へ伝わっていった。

 当時の状況について、設楽氏は「土器を飾らないと気が済まないのは縄文人で、弥生人はあっさり好み。この辺りでは、縄文人がルーツのところに弥生文化が入ってきて葛藤が生まれ、条痕を強調することで個性を主張したのだろう」と指摘した。

 縄文~弥生時代の研究者として知られる設楽氏は前橋市出身。設楽町には、筑波大の大学院生だった頃に調査で訪れたことがあり、それ以来45年ぶりの来訪となった。

 講演は「設楽が語る、設楽の昔」と題し、自らの姓と共通する町名についても言及。「だらし(ない)」という言葉や「スーダラ節」などと関係があると説明した。

 ダム建設の関連工事が進む設楽町では、愛知県埋蔵文化センターが発掘調査を実施しており、これまでに9遺跡の報告書がまとめられた。成果報告会は町教育委員会などが主催し、約50人が来場した。

2024/03/11 のニュース

講演を行う設楽氏(設楽町役場議場で)

設楽町の笹平遺跡から出土した条痕文土器

有料会員募集

今日の誌面

きらり東三河

東三河学生就職NAVIリクルーティング

東三河学生就職NAVIリクrooting2025

高校生のための東三河企業情報サイト

連載コーナー

ピックアップ

Copyright © TONICHI NEWS. All rights reserved.

PAGE TOP