豊橋空襲の体験者が戦争の記憶語る
2025/06/14
体験を話す松橋さん(豊橋中央高校で)
豊橋市鍵田町の私立豊橋中央高校で13日、豊橋空襲を知る平和授業が開催された。豊橋空襲の体験者を招き、生徒らは空襲や戦争の記憶について聞いた。
2年生37人が参加した。1945年6月の豊橋空襲について、1941年生まれで、当時3歳半で経験した松橋勇さんが語った。
松橋さんは、豊橋空襲について「幼い私でも強烈な記憶が焼き付いている」と振り返り、黒板に実物大の焼夷弾の絵を描いて「このような焼夷弾が落とされた。はじめに照明弾が落ち、家の南の方が明るくなったことが記憶に残っている。後から考えると、照明弾は今、中央高校がある辺りに落ちたのだと思う」と話した。
そして「家族9人で豊橋駅の西側まで逃げて夜を明かし、翌日、渡津橋を越えて(現・豊川市)小坂井町に身を寄せた。家があった辺りは目印だった額(ぬか)ビルだけが焼け残り、何もなくなった」と話した。
生徒たちは熱心に聞き、質疑応答ではたくさんの質問が飛び出した。「日本はなぜ戦争になったと思うか」と聞かれ「戦争はいつあるかわからない。指導者が国を戦争に導いた。市民が自分で判断する力を持たなければならない」と答え、(敵国だった)アメリカへの思いを聞かれると「いろいろと言いたいことはある。その先は皆さんが考えて」と訴えた。
体験談を聞いた権田希皇(ねお)さんは「豊橋でも確かに戦争という悲惨なことがあったことが実感できた。授業の経験を、次の時代を生きる僕たちが未来に伝えたい」と感想を述べた。